次男の孤独死に思う。



 
5年前に、次男のことを記事にして書き、それから5年の歳月がたった。先週、兄からの連絡で、次男が孤独死をした?事、遺体を確認のため、DNA鑑定が必要になったことなど伝えられました。
 死後、かなりの時間が経っての発見だったので、目視では本人かどうか?確認が難しいことが伝えられたのです。
 そして、先週末に、管轄する警察署に赴き、長男や離婚した妻や次男の息子が集まり、状況報告を係の警察官から説明された。
 どうやら、お風呂に一人で入り、そのまま亡くなって浮かんでいたようで、近隣の住人・新聞配達店等の情報により、鍵を家主から提供されて部屋に入り、本人がお風呂の中で亡くなっていることが分かったらしい。警察の話では、施錠がされて、他の不審者が入った形跡がないこと、お風呂での水死から推察して、事件性はないことから、死因を不詳とされていることが分かりました。
 身近な兄弟が、このように孤独死し、最後に身内の者に確認されることに至ったこと、病院の受診歴から、がんや糖尿病などの病歴が記録されていること、現金は54円を所持しているだけで、通帳にはお金が残されていないこと、生活保護を受けていたことなどが分かった。
 きっと、生前の生活は、うら寂しい一人暮らしをしていたのではないか?と想像された。部屋に残されている本や写真を開いてみて、亡くなった男が次男であることはおそらく間違いないでしょう。しかし、免許証の写真を見て、兄や元妻が、「父親では?」と間違う風貌に変わっていたことに驚かされた。
 三十年以上経てば、私も確かに頭の毛が薄くなり、風貌が変わった。しかし、次男の変わりようには、正直驚かされた。そこには、その顔には、勝手の気ままにおのれの好みで家族を顧みなかった男の派手やかさはみじんも見られず、年老いた初老の、複数の病気を抱えた老人の風貌があるだけだった。

 こたつ机の上には、ノートパソコンが置かれていたので、どんな情報があるのか?見てみたい欲望もあったが、そのままにしておいた。
 何某かのメッセージや、次男が生きていた証のような奇跡が、パソコンの中にあるかもしれないが、それは伏せておくことにした。
 自分に、もう少し次男の人生に興味があったなら、あるいは残された情報を見てみることを選んだかもしれない、しかし、それは止めておく。
 次男の息子さんが来られていて、挨拶が出来た。今後、何かの機会に話をすることになるかもしれない。彼の思い、頑張って育ててきた母親への思い、自分たちを顧みず、好き放題に生き、最後は孤独死した父親への思いなど、聞くことが出来れば、本人にとっても気持ちを整理する一区切りになるかもしれない。

 次男が亡くなり、3人兄弟の末っ子の私と、長男とがどういう関係を続けていくのか?これからの物語となる。
 そんなに、長い付き合いにはならないだろうし、話をする機会もそんなに多くはないだろう。私にも仕事があり、彼にも仕事や知人・家族等の付き合いなどがある。京都と奈良だから、その気になれば1時間半もあれば駆け付けられる距離にお互いが住んでいる。しかし、お互いの暮らし方に、今まではあまり立ち入ることなく過ごしてきた。これから、お互いどんな病気になるか?も分からないが、距離を置いた、何時でも話が出来る兄弟として、あり続けられたらと考えている。・・・今日は、久しぶりに、かって幼少の時代に暮らしていた、京都の伏見の府営住宅の平家のこと、両親のことなど思い出しながら、寝床につくことになりそうだ。