72年前炎天下の真夏、路上にさまよう子供たちが溢れていた

戦争は、終結後も傷ついた人々を苦しめる。
国と国との戦いだが、個人対個人の憎悪を伴う争いではなく、強いられた”システム化された殺し合い“として展開される。いったん戦争体制になると、社会のあらゆる価値あるものが、戦争に勝つための道具化を余儀なくされる。・・・たとえ勝者になろうと、多大な犠牲を国民は被ることになる。いったん戦いが始まると、戦争に反対する意見は封殺され、敵視される。人を殺してはならない、と教えられた価値観が逆転し、敵を殲滅せよという命令が絶対化される。
 この夏の時期になると、広島・長崎の被爆記念と共に、空襲で被災した人々の歴史も報道される。
8月10日の朝日朝刊には、金田茉莉さんの体験が、オピニオン&フォーラム 孤児たちの「遺言」というタイトルで、掲載されている。
その記事を読み、終戦後の日本の歩みの中で、どれほど多くの子供たちが、国や社会から見捨てられていたのかについて学ぶことが出来た。戦後、親兄弟と連絡が取れず文字通り路頭に放り出された子供たちが、12万人以上(沖縄、浮浪児、養子になった者を含めるとさらに数は膨れ上がる)存在した。
戦争孤児とは、戦争により保護者である親が戦死や空襲で亡くなり、その日の食べ物もなく社会から放り出された子供達のことをさす。生きていくために、盗んだり略奪してでも生きる他命を永らえることが出来なかった、そんな飢餓状況で、当時の国は救済策を有効に実施していたとはお世辞でも言えない。
兵として戦地で命を失くした軍人家族には、遺族年金等が支払われ、英霊として名誉も付与される。しかし、大人の戦争に巻き込まれて路上に放り出された子供達に対して、いったいどれだけの社会的責任としての施策があったのか?今一度反省の意味を込めて検証していく必要があると思う。
金田さんは、記者との対談を通じて、自らの戦争孤児としての悲惨な体験を語り、忘れてはならない戦争の歴史の子供たちに及ぼした事実を語り継ぎ、書き遺そうとされている。
もう、残された人生は僅かであろうと、自らが体験し見てきた戦争の実態について、これからも忘れてはならない、と話しかけてくれているようです。
今また、時代は軍事増強・核兵器の容認・東南アジアや朝鮮半島との緊張関係が深まっているようにも感じるのは、私だけではなかろう。
子供たちを戦争に向かわせない社会、子供たちに犠牲を及ぼさない社会を作りたい。
単なる理想で語るのではなく、具体的に国家的敵対関係を無くす運動が必要だと思う。
 戦前の軍国主義国家は、戦争が終わった後も、長く路頭に迷う孤児たちを救済する施策を具体化できなかったこと、このことを考えてみたい。戦後民主主義で語られる人権・平等・自由という理念が、その本来の意味を具現化する制度を作り上げるには、いかに不完全な制度であったのか?の反省が必要と考える。国からも、親親族からも、世間からも追放され亡くなっていった子供達のことを、私は忘れないでおこうと思う。