ウクライナに平和を!

 最近の、ウクライナでの戦況を報道するニュースは、今の日本に住む我々の生活から見れば、信じられないような悲惨と破壊の現実として突き付けられています。

 かって七十数年前、太平洋戦争末期に日本の国民がそうであったように、今ウクライナの人々は戦火をくぐって、生き延びるため必死の毎日を送っているのです。

 国連や近隣諸国は、軍事侵略するロシアへの非難をすることは出来ても、止めることが出来ない。話し合いのテーブルにつかせようとしても、一旦手を挙げたプーチン率いるロシア軍は、ウクライナへの侵攻を止めようとしない現状がある。

 この戦争が長引くことで、どれだけの人たちが命を失い傷つき、自分たちが住んでいた平和な生活を失っていくことか?

 気になるのは、ロシア国内の情報が管理され、プーチン政権に反対する意見が社会的排除をされていることにある。マスメディアの殆どが、政権のプロパガンダを担う報道に塗りつぶされて、反対意見が許されない情報社会に変貌している。

 戦前の、日本の軍部がとっていた報道管制と同じでやり方です。

 これは、民主主義と正反対の強権国家における情報管理社会として、現在のロシアがすでに機能し始めていることの懸念です。

自由に反対意見が言えない社会、その時の政権・権力者に反対することが許されない社会からは、自由な対話に基づく平和はもたらすことは出来ません。

 一日も早く、ウクライナへの、ロシアの軍事侵攻を止めることを願うものですが、世界には、同じような血なまぐさい衝突になりかねない地域や問題が多く存在しています。

 果たして人間というものは、何時まで経っても、こうした争い事から逃れられない生き物なのか?

下手をすると、地球上の人間を含めた生き物の、大多数を破壊抹殺してしまう、核戦争が起こる危機が現実に迫っているのかどうか?

 改めて、平和というものを維持定着させるための、人間の知恵とコミュニケーション能力が、問われている気がします。

施設入所の隔離化を憂う。

高齢者施設内への立ち入りや、面会が厳しく規制され、入所している当事者・その家族から懸念の声が強く発信されいる。

 入所者との面接が禁止され、さながら施設という小社会の中に閉じ込められている状態は、改善されなければならない。

 リモートを使っての面接が取り入れられ、コミュニケーションの回復のために工夫を加えられている施設もあるが十分な対処法なのか?さらなる検討と配慮が求められていると思う。

 入所者側からは、精神的に孤立し、生きがいが削り取られている現状があり、施設スタッフの努力にも限界がある。本来あるべき、施設外からのコミュニケーションが危機に瀕している自覚が必要であり、単に感染症の予防という建前では、問題の解決になっていないことを知るべきであろう。

 施設外の市民社会が、一定のルール化で、その自由行動と交流が出来るように、施設の中とのコミュニケーション権利も認められる必要があり、もの言えぬ入所者の声なき声に、耳を傾ける事こそ必要と考えるのです。

 当該施設により、対応の違いがあり、面会部外者の立ち入り禁止」というやり方は、今後は改めていかねばならない。

 ケアマネジャーの場合、担当利用者が入所やショートステイで利用している際に、面談を断られている現状があるが、一律に接触を禁じる方法には大きな違和感と、異議がある。もちろん、感染予防の配慮必要性は認めるが、面会が禁じられたままそのやり方が常習化していることについては改善を講じるべきだと考える。

 面会の自由については①入所者側からの自由と権利を守る側面と②家族や支援者から入所者に合う権利と自由の2側面があり、どちらの立場からも、現状を改善する必要があると思う。①については、施設内から自由に外に出かけられる権利とその方策の具体的提示が必要。→例えば、家族友人と外出し、交流をする権利がこれにあたる。②については、家族や友人、ケアマネなどの支援者が、入所中の利用者と面会、交流をする権利とその方策がこれにあたる。

 現状では、②の家族に限定して、リモート面会が取り入れられている施設が出てきているが、個々の施設側の判断に任せられているのが現状。厚労省・保健者等・専門家等からの助言やアドバイスが今こそ求められているのではないだろうか?

 まずは、声を上げていくことと、その声の輪を大きくしていくことから、物事は動いていく。「現状を、改善していこう。このままではあかん!」

 

 

 

普通に排尿が出来ることが、これほど嬉しい事だったんだと気が付きました!(術後を振り返って)

膀胱がん治療のための入院で、1週間の治療をしてきました。

治療内容は、「経尿道的膀胱切除術」というもので、膀胱内にできている腫瘍を削り取る処置です。

 この量を受ける3週間ほど前に、血尿が出ました。今まで経験したことのない出血でしたので、痛みは伴いませんでしたが病院受診をして検査等を受け、膀胱内の腫瘍が見つかったのです。

 問題は、それが悪性のがんなのかどうか?ですが、それが判明するのは後からで、まずは腫瘍を取り去る手術を受けたのです。

 幸い、この手術は、1週間ほどで退院のめどがつくとの説明を受け、入院治療に至ったわけです。・・・実際の手術では、半身麻酔で1時間ほどで腫瘍除去をしてもらったのですが、術後数日は尿カテーテルで排尿し、出血が収まっていることを確かめてカテーテルを除去してもらい、排尿のリハビリ?となりました。そうです、最初は排尿の度に痛みもあり、頻回の排尿で大変でした。排尿される量も、膀胱内に沢山貯められないことから、2時間おきくらいにおしっこに行く生活となり、出し初めには独特の痛みがあります。排尿することが、こんなにも微妙で、覚悟がいることになるとは、今まで健常な体の時は分かりませんでした。

 幸い、術後の経過は、傷が順調に治っているようなので、自転車にものれ、生活としては普通にできてます。就労も再会できており、無理は出来ませんが、通勤を今後も続けます。定期受診をしながら、この病気と長い付き合いになりそうです。

 自分ががん患者の仲間入りになったことを、公開します。それは、人を支援する仕事を継続するうえで、自分の病状を知ってもらいながらのケアマネ業務になるからです。病状によっては、受診や治療で休んでいることが今後増えることが考えられ、そのことを利用者や事業者にも理解してもらう必要があるからです。がんになれば、すっかり社会的に仕事をリタイヤするのではなく、可能な範囲での社会的貢献をしていきたいからです。どこまで、それが可能なのか?今よりもっと病状が進んだら、就労は不可能になるでしょう。しかし、可能な限り続けて仕事をしようと思うのです。

 今、5月の連休を自宅で過ごしながら、今後の自分の生き方を考える時間が出来ました。ひょっとすれば、自分に残されている時間はそんなに多くないかもしれません。がんが、もっと自分の体の奥深くに広がり、自由な活動を妨げる可能性がある。でも、そのことを今心配しても何も始まらない。病気を公開することで、秘密にしておくストレスが解消され、他者に理解をしてもらいながら、自分もやりたい活動をすることが出来ると思っています。

 あ、それから、当然のことですが、お酒は飲まないようにしてます。今まで、1日間ビール1本程度ですが、夕食時に飲む生活でしたが、治療にそぐわないと聞いて自粛してます。飲みたくなる気持ちはあるのですが、今はそれを自制できている。今後も、当面は飲まない暮らしを続けます。ちょっと寂しいけど、それは慣れれば気にならないはず。自分の体のためですものね。

 13日の、経過受診日に、先日の入院時検体検査の結果が分かります。腫瘍と言っても、その病態がどの程度の属性があるか?により、今後の治療方法が決まるようです。薬も、今は飲んでいませんが、今後は服用を勧められる可能性がある。分からないことが沢山あるが、どのような治療を続けるのか?医師と相談しながら決めていきたいと考えています。

 私がこうして、がん患者となったことは、何ら不思議なことではなく、来るべくして来た病なんだと思います。その意味では、今後の推移を、しっかり見極め、自分の生き方をしたいと思う。

 それから、自分の病気を理解してくれる家族が自分に入るということ、それも大きなことです。自分が一人であったなら、実生活でも、精神的にも疲弊していたと思う。しかし、自分には病気を抱えた自分を見守る家族がいることで、支えられていると実感する。素直に、有難いと感じる。

がん患者の仲間入り。

ちょっと、個人的病状のお知らせです。

3月の末、初めての血尿が出て、医療機関で検査していただきました。その結果、膀胱内に腫瘍があることが分かり、来週入院して除去する手術を受けることになりました。今日は私の71歳の誕生日です。今まで、内臓的には特に疾患を認められることなく過ごしていたのですが、今回の入院手術により、がん患者の仲間入りをすることになりました。

 こうした疾患に、私がかかること自体は不思議はありません。人の死因ががんであることは、最も一般的な症例ですし、私もその仲間入りをすることに、不思議は無いのです。

しかし、自分が病人として、これからの人生を生きていかざるを得ないことに、「とうとう、来たか?」とたじろぐ自分がいます。まだ就労も続けたい。やりたいことが残っている。楽しみたいことも沢山ある。…そうした思いが、一杯湧き上がってきます。

 今日、こうして自分の病気を公言することにより、まずは、気持ちの上でストレスを持たないようにしようと思っています。そして、可能ならば、今続けている就労と生活を継続しようと望みます。

 今後、どのような症状と病状が待ち構えているのか?は分かりませんが、独り悩むのではなく、家族や知人たちと相談しながら、最良の自分らしい毎日を送っていきたいと念じております。

 おそらく、私の体の中に居るがんとは、長い付き合いになるでしょう。がんと、真正面から戦うというのではなく、上手く付き合っていこうと思うのです。ある時点では、不必要な治療を絶つ必要もあるでしょうし、その時その時の判断と選択肢を見極めて、生きていきます。

 こうして、自分が、がんになったことを公言することで、胸の奥につっかえている気持ちが、すっと楽になったように思います。秘密にしようとは思いません。・・・そうです、どこにでも起こっている事なのです。誰にでも起こることなのです。当事者になったことの自覚と、これからの毎日の生活を大切に生きていきたい、そんな風に思います。まずは、がん患者の、公言と宣言です。宜しくお願いします。

 

さらなる市民生活の制約に対して思うこと。

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川べりに作、今年の桜が、少し散り始めてきました。


2020年、思いもよらない感染症の蔓延により、地球上のすべての国で混乱が進行している。新型コロナウィルスが国境を越えて広がり、社会生活、経済活動も含め、人々の生活全体に暗雲をもたらせており、現時点で収束の兆しは見えていない。

 国と地域により、置かれている状況は異なるが、この問題は、グローバル社会として地球が繋がっている以上、1国・1地域だけの問題解決はあり得ない。その意味では、全ての国や社会が協力連携して対処することが求められる問題です。

 こうした状況下で、市民生活が、非常事態宣言下に置かれることにより、多大な制約を受ける状況に置かれているヨーロッパや米国等があり、日本も何らかの統制がかけられる可能性がある。

 体験していない事態の進行が、今後どのように変わっていくのか?

特に医療崩壊?が叫ばれ、教育や、介護の分野でも大きな制約が課せられる可能性がある。

 

私が、これからできることは何か?中村哲さんの死を考える。

アフガニスタンの東部ジャララバードで襲撃を受け死亡した中村哲さん。其のショッキングなニュースは、今も答えのない動揺を多くの人に与えていると思う。日夜ガニスタンの人々のために医師として現地で活動し、専門外の灌漑工事などを手掛けて、現場のニーズに答え、人生をささげている人が、心無いグループのテロ行為で命を落とした。「何で、中村さんが殺されねばならないのか?」

答えのない疑問を抱きつつ、現地の混沌とした暴力と憎しみが渦巻く状況に、日本で暮らす自分の、無力感を痛感する。

 中村さんの家族(奥さんと娘さん)が、現地の取材に対して、悲しみをこらえながら、気丈に「今まで大変お世話になりました。」と語り、深々と御礼をする娘さんの姿を見て、衝撃を受けた。

普通なら、悲しみと憎しみによる辛さで、残酷な仕打ちに対して抗議の声を含ませる語りになっても不思議はない場面と思う。しかし、涙でうつむく母親の背中を触れながら、淡々と、言葉を選んで会見する娘さんの姿に、感動を禁じえなかった。

 おそらく、最悪の事態を覚悟して、中村さんはアフガニスタンで活動されていた。その決意を家族も共有していたことと思われる。決して起こってはならないことであるが、その時が来ても中村さんの意思を尊重し、そのまま受け止める覚悟を家族がされていたことだろう。

 こうした、悲惨なテロを、どれだけ重ねれば平和なアフガニスタンが再構築されるのか?どれだけの血が流されねばならないのか?

 中村さんが、今、私たちに何を語りかけているのか?

その答えを、私はこれから、しっかりと見つけていく責任があると思う。私が出来ることは何かを。

人間だけではなく、草花にも元気が無い?!

 想定外というか、予測をはるかに超える猛暑により、植物についてもその影響が見られます。 
 自宅では、毎年朝顔を育てているのですが、今年はどうしたことか?元気が無い。いつもなら、7月から9月にかけて、どんどん毎日咲いてくれる。しかし、今年は違う。真夏の季節になってから、花の出来が悪いのです。
 7月中旬の暑さは、例年のそれとは異なっており、統計データにも表れている通りです。8月に入っても、まだその暑さの猛威は衰えていない。
 朝顔の話に戻るが、花が咲かなくなっているんです。
ですから、今日アップする朝顔は、7月初めのものですが、最近は、弱弱しい花が咲く。おかれている場所や水やりなどのケアーがどうか?によっても異なるでしょうが、同じ条件で置かれている朝顔を考えると、今年はこの気候に影響されているように思います。

 元気と思われるのはセミです。毎日、朝から夕方まで、時には夜半にも蝉の声が聞こえています。確かに夏しか聞こえない、音で感じる季節の音色です。
 ここ何年も、夏に肌を焼くことなく、水泳や水遊びもしなくなりました。
近くに、水泳場がないことにもよりますが、夏場の過ごし方という点で、かなり変わってきたように感じています。
 今年のお盆休みは、特に外出の予定を作っておりませんが、休みの機会に自宅に訪問してくれる親族知人などが、来てくれる予定もあり、楽しみにしております。
 読書の時間も持ちたいのですが、果たして有意義な学びの時間を作れるのかどうか?