東京都・教育委員会の03年10月通達をめぐる裁判に思う。

5月30日、東京地裁で都立板橋高校卒業式事件に対する刑事判決が言い渡された。判決では、起訴されている元教諭藤田さん(65歳)威力業務妨害罪で起訴され判決として有罪を言い渡された。罰金20万円の判決で威力業務妨害は成立すると認められたが、懲役刑は不適当とされた。なぜ罰金刑なら適当と認められ、懲役刑は不適当なのか?の説明が曖昧である。



この判決は、何を意図しているのかを考える必要がある。



1・入学式・卒業式において国歌が斉唱されること、その際に起立姿勢を取る事が義務付けられたがそれが何故なのか?

元々国歌を歌う歌わないは、個人の自由である。日本国民だからといって君が代を絶対に歌わなければ非国民だとする法律は明らかに基本的人権を無視する思想の強制と言える。ましてや、歌う人に対して妨害活動をするのでもない限り、何処が威力業務妨害に当たるのか?明らかに、之は思想信条の自由に対する侵害と言えよう。



2・都教委の通達は、現在も東京の全ての学校にて指示徹底されておりこの意味では君が代斉唱は既成事実化してきた。また、日本国旗の掲揚についても、学校行事される事が当たり前になってきた。

しかし、教育の場であるからと言って何が何でも日の丸が掲げられなければならない、と言う発想はきわめて貧弱な発想だ。

昔は、祭日などには電車や車も国旗を掲揚する事が広く行なわれていたが、今はそうしたことは果たして必要なのか?

第一、日祭日と言っても、人それぞれ働く職種によっても、休日などばらばらであり、普通サービス業では日祭日は仕事をされている方も多い。・・・こうして何か行事があっても、日本国旗を掲げる風習はもはや失われているのが現実である。

学校が入学式、卒業式に国旗を掲揚する事に賛成はしないが、どうしても遣りたい人がいればその人たち用にどこか校庭内にでも国旗が立っていてもそれは良いだろう。

しかし、国家を歌わない人、起立しない人が犯罪者であるような教育の方針には反対せざるを得ない。



増して、国歌を歌うときに誰もが例外なく起立しなければ違反だ、と言う都教委の見解は、憲法で認められている自由の侵害でもある。何故、こうした通達が未だ東京の公立高校で続けられているのか?きわめて疑問だ。



今回、こうした通達に反対する当時の藤田さんらの起立拒否の呼びかけ行為が何の罪に問われているのか?と言うことに眼が向けられる必要がある。



国歌斉唱に同意せず、起立もしないと言う意思がどうして裁かれなければならないのか?現在が、60年以上昔の戦争当時なら、それは有り得た。・・・その時代は、国家をあげて戦争遂行を奨励しており、それに反対したり反戦活動に同意することは、日本人とは認められなかった。当時は、人権などとうの昔に取り上げられ、日本人なら、天皇のために自分の命と財産全てを差し出すことが当然とされた時代である。・・・こんな時代を、再び呼び覚ますために、こうした国家斉唱が義務づけられたのか?かっての絶対主義天皇が神の時代はもう御免である。



もうとっくの昔に崩壊したはずの国家主義的な発想と考え方が、再び蘇って来ている事を深く憂慮します。

右翼の執拗な活動や、それに同調する御用学者たちが多くいることも知って下りますが、もう時計の針をかっての暗い時代に逆戻りさせないで欲しい。



二度と戦争を起こさず、二度と軍隊を持たないと高らかに謳っている現憲法の精神を風化させてはならない。我々の子供達、孫達には戦争のない、戦争と言う手段では争わない生き方を伝えてゆきたいと思うのです。

この意味で、平和憲法を守ることが必要です。時代に合わせて改正すると言う主張は欺瞞であり軍事大国への道を切り開くことになると思います。



今回の都立高校卒業式妨害の判決は不当なものです。こんなことが威力業務妨害になるのなら今後国家の行事に反対するいろんな行為が摘発されてしまうことにつながるでしょう。





藤田元教諭は、判決の後即日控訴している。

彼の裁判を今後も支援し、国家斉唱・起立を強制する現在の都教委通達を取り下げるために声を挙げて行きましょう。

繰り返して申しますが、歌いたい人は自由に歌えば良いじゃないですか?

それを強制する事が果たして適切な教育指導なのかどうか?この点が問われていると思います