本当にスポーツには国境が無いか?

昨日の日本対韓国のサッカーは記録的な視聴率であったと報道されている。最大、関東では、57パーセントの人が(正確には、テレビ受信機が)息づまるサッカーの試合を見ていたらしい。

あれだけのマスメディアからの大騒ぎがなされることにより、必要以上に熱狂が作られているようにも思える。

そもそも、報道機関は、もっと冷静に在りのままを伝えて欲しいと思う。確かに、来年のドイツのワールドカップへ出れるための地区予選に勝たねばならぬ事情は理解できるが、どんなスポーツでも、そういった予選と言うものはある。国を挙げてのサッカー事情が加熱することも良いかもしれないが、現在のマスコミの熱の入れようは、純粋なファンとしては頷けないものが感じられる。





一方では、フーリガンの暴挙を非難しつつ、こうしてサッカーファンの気持ちをくすぐり続けることにより、異常なファン心理を煽り立てているように思える。

本当にサッカーを愛し、スポーツとして楽しみたいのならば、もっと冷静な報道と、取材をお願いしたいものだ。



特に、眉唾物は、あの、熱烈応援団=サポーターたちの、ワイワイガーガーと言う合唱である。何時から、何であの手の応援が生まれてきたのかその由来は知らないが、現在では、サッカーの試合では、ああしたサポーターたちの叫び声が当たり前のようになっている。・・・そう、プロ野球においても、幾つかの球団では、そうした応援が定番になっている球団がある。しかし、一つ考えていただきたい。そういった応援を好ましく思わない多くのファンが存在することを。黙って、試合を、ゲームを楽しませて欲しいと願っているスポーツファンは、決して少なくないと思う



私は、スポーツを、葬式のような試合にしたいから、こうして不平を漏らしているのではない。

選手たちの集中力を高め、真剣な動きに敬意を表するからこそ、現状の応援には賛成できないのです。



ひょっとすれば、これは、スポーツの場面だけではなく、音楽や芸術全般・に於いてもこうした、騒ぎ過ぎの現象が現れているかもしれない。中身が問われず、本末転倒になって現象だけが先行している・・・こうした世俗的なあり方を自分としては、問い直しつつ生きてゆきたいと思います。

ファインプレーや、良い技が披露されたときは、惜しげなく賛美の声を上げることも相応しいと思いますが、何でもかんでも騒ぎ立てることが良いと言う風潮は解せないのです。