1945年・長崎・弟を背負う裸足の少年。

この写真、背筋を伸ばして起立している少年の凛々しさと、裸足で弟らしき少年を背中に背負う姿のコントラストが見る者を釘付けにしてしまう。・・・果たして、弟は生きているのでしょうか?

この写真は、終戦直後に進駐軍のカメラマンとして来日したジョー・オダネルさんが撮影したものです。

彼が写真を撮り始めたのが8月15日以降として、既に長崎原爆被爆から1週間あまりが過ぎている。被爆による住宅の破壊、樹木の破壊、そして人間の被爆が生々しい。こうした状況の中で少年の写真が撮られました。この写真が物語るものは何か?

・・・おそらく、彼らを守べきる家族がいないのでしょう。・・・動かない弟を背負って、彼が遣ってきたのは、市内の川岸で行なわれている臨時の焼き場です。荼毘にふすためにこうした火葬が当時は行なわれていたのです。少年が遣ってきたのは、弟の順番を待つためだったのです。



弟を見ると、眠っているようにも見えます。・・・だらりとたらした足と手が可愛い寝顔のように見えますが、実はもう息絶えているのです。

その弟を最後まで背中に抱きながら荼毘にふすために背負っている兄の心境を思い、カメラマンのオダネルさんは心打たれる。彼は語っています。

「私は、カメラのフェインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いて遣りたかった。しかし声をかける事も出来ないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をピンと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。」

この光景は、カメラマンだけではなく、私達にも衝撃を与える。

この少年が、この後どうなったのか?それは判らない。・・・原爆症による病で自分も息耐えたかもしれない。しかし、生き延びて大人となり、家族を持ち、現在も生きて居られるのかも知れない。・・・出来れば、生き残って欲しいが・・・



どちらにせよ、私達が想像出来る事は当時の広島・長崎が原爆による破壊と殺傷の悲劇に多くの人が巻き込まれ、その後長く被爆の苦しみを味わっていると言う事実です。この原爆の惨状を忘れてはならないのです。



今尚、世界の何処かで戦争が行なわれ、罪もない市民が巻き添えとされ憎しみの連鎖が積み重ねられています。

こうした、愚かな争いを止めさせることは人類の悲願です。

イスラエルとアラブの人々が今尚争いを止めない今日、タダ手を拱いていることは無力であるだけでなく戦争自体の肯定に繋がります。

大きな声で、無益な血の流しあいを停止し、話し合いのテーブルにつく事を提案すべきです。多くの人が、身を挺して戦闘を止めるよう声をあげてゆくことが大切なのです。

広島・長崎の原爆体験を風化させること無く、今後も世界に向けて発信してゆきましょう。