悲しい事件の結末と、再発を防止するためには?

歩さん両親の、残念な姿を報道で見ました。



娘を殺され、容疑者が10日後に自殺という形で事件を閉じなければならない事態になったことは、第3者の我々から考えても納得のいかない結末です。「何でや?」と云いたくなるでしょう。

容疑者の少年の両親が云っているように、少年には真実を話す義務があったはずです。例え少年の犯罪が事実であったとしても、何故そうした”殺人行為”の経緯に至ったのかをきちんと述べ、次に、自分がどういう形でお詫びをしてゆけば良いのかを考える必要があった。



自殺をする、という行為の中に、もし歩みさんに対するお詫び、の気持ちがあったのなら、死ぬ前に、歩さんの両親やあゆみさんを愛し慕った人々へのお詫びが必要です。自分がしたことに対する責任を取ることが、人間として一番大事なことだということを、彼は理解することが出来なかった。

少年が死にたくなった気持ちの中には、ひょっとすれば自分が犯した行為に対する、お詫びと絶望があったのかもしれないが、自分がどれだけ苦しく、やりきれないか?ということと、自分が犯した行為で、どれだけの人達が心配し、悲しんでいるのかということを区別して考える必要があったのです。



彼が自殺することにより、最後まで自分勝手な生き方を通したことになる。押し止められない女性に対する暴力行為と殺人、そして、自分が犯した大きな犯罪に対する絶望・・・こうしたかってない心の激震に耐えられなくなり、少年は自らの命を絶つ選択をした。



しかし、考えて欲しかった。・・・少年を愛した両親がいて、家族も在り、友人もいたと思う。多くの人に支えられて今日まで生きてきていたのに、ある日、不可解な行動に刈られて女性を殺害し、自らの命も絶つ。・・・一体、彼は何のために生まれてきたのでしょう。彼の人生の結末は、あまりにも悲しい結末です。



亡くなってしまった今後、次第に人々は彼のことを忘れるでしょうが、彼の両親、家族は忘れようとしても忘れられない深い傷を負っておられます。・・・もし、自分の家族が、こうした殺人事件を起こした容疑者であり、なおかつ自殺により真実を語らずに亡くなったならば・・・一体どれほどの心の重荷を負うのか?想像することすら辛いことです。

亡くなった本人は、良いでしょう。

しかし、残された人のことを思えば、こうした結末を選択することは出来ないはずです。・・・例え、どんな犯罪を犯したとしても、自殺により全てを隠蔽する事は罪に罪を重ねることにしかならない行為です。卑怯ですらあります。



少年犯罪をめぐって、個人情報を守るべきか?犯罪防止のために、場合によっては公開すべきか?が議論されて下ります。

それぞれの見解は最もであり、どちらの見解も判らないことはない。しかし、大事な事は、こうした犯罪を防止するために、之から何をしてゆかねばならないか?が重要なのです。犯罪が起こされてからの対応が問題ではないと思います。



一体、少年がどういう生活をして、どういう育てられ方があったのか?歩さんにたいして、何故こうした暴力行為を働くに至ったのか?それを防止するために何か遣れることはなかったのか?こうした疑問と問いかけこそ、今後一番取り組むべきことであり、関係した者だけではない、全ての人が問い直しをする必要があると思う。

願わくば、殺害する一歩手前で我に返り、思い止まって欲しかったし、悩みがあるのなら、少年の近くに居る人たちへ相談をすべきだったと思う。

第2第3のこうした忌まわしき事件が起こらないよう、私達に出来ることは何か、自分の心に問いかけ、身近な人達と話をしてゆきたいと思います。



・・・人は、時々生きる苦しさに負けて、人としての道を外してしまいそうになることはあると思う。・・・大なり小なり、誰にだって起こりえることだと思う。・・・しかし、そこで問われるのは、そうした苦しい場面でも、冷静に自己のおかれている立場を振り返り、一人では駄目なら、最も頼りになる誰かに頼って助言を求め、意見を求めて自分を軌道修正することが出来るはずです。

大人になるということは、・・・というよりも人間として生きてゆくということは、そうした支えあって生きてゆく術を日々身に付けてゆくことでもあるのです。・・・今回の、悲しい結末を通して、いかに人間としての支え合いのいき方が問われているかが分かりますね。