新春家族討論会?の巻。

●今年の正月は、珍しく、家族4人が顔をそろえて朝食を取りました。
 いつもなら、誰かが出かけて不在で、全員集合となることが少ないのですが、今年なはぜか全員集合?
8時過ぎから夫婦が先に起きておせち料理の支度をする。
仕度が出来て、二人の息子たちに声をかけ、10時前から新年の食事をする。
●因みに我が家のお汁は白味噌仕立て。丸もちと餡餅を入れて野菜たっぷりの雑煮でした。家長?を代表して、短く新年の挨拶と、それぞれの今年のやりたいことなど話してゆきました。次第に話の盛り上がりの中で社会や世界の平和について論議が及んでゆきました。
宗教や戦争のこと、高齢化社会や福祉のことにも当然話が及び、今後の日本での行き方の問題などにも言及する。あまりにも多方面の議論を始めていったので、どこで纏めた方が良いのか誰も判らない。みんながそれぞれの見解を自由に話し合いました。それぞれが話したいことなどをお喋りするスタイルです。
●今まで、それぞれが生きてきて、こんな感じで話をしたのは初めてです。それぞれの立場で、考え方の違い、感じ方の違いも判りました。
新年の初めに、こうした話が家族で出来たことを大変うれしく思いました。ギンギンに目いっぱい論争するスタイルではなく、話題を自由に出し合ってそれぞれの考えを付き合わせてゆく新鮮味が味わえ、とても有意義でした。
改めて、息子たちも立派に育ち、独りの大人として物事の発現をすることが出来るようになったことを嬉しく思います。普段、ともすればすれ違いが多い家族関係の中で、今日はお互いの考え方生き方を共有する良い機会になったと思います。
●特に平和について話をしていた時に、「何が平和と呼べるものなのか?」という問いが出されました。
これに対して、奥さんの方は、お互いが相手を束縛せずに、自由に自立して生きてゆける社会作りが出来ることを上げました。
私が述べたことは、力づくで他国や考え方が違うグループに強制をし、軍事的勝者が好き放題に国際社会を牛耳る現在の政治関係を、誰もが自由に行き来して交流し、対等にコミュニケーションが可能な社会作りです。・・・この際、核兵器などの軍拡競争をやめて、その資金・資材を平和のための事業に振り返ることが必要と付け加えました。
 一方息子たちは、人間本来のあり方として、常に争いが不可欠ということ、それを完全に食い止めることは出来ないであろうと云います。したがって、今後の国際的な争いごとは絶えることはないのではないか?と懐疑的発言をしました。しかし、だからといって何もしないことではなく、最低限の戦争防止策や自衛のための軍事力は持たなければ社会は守れないと考えているようです。
平和という概念については、それぞれの個人により、かなり違いがあること、それぞれの個人の考え方が多様であることを考えれば、それを一つの運動にまとめることが難しいし、まとめてしまおうとすれば無理が出るのではないか?とも付け加えておりました。
●こうして、結論こそ出すことは出来ませんでしたが、平和や戦争ということについてそれぞれの考え方を議論することが出来たことは大変満足です。きっと、今後ここの生きてゆく場面の中で、今日話をしたことが生きてくることがあると信じます。
最近、日本の家庭では、親子の対話が不足していること、親子のコミュニケーション断絶などが揶揄されています。しかし、それぞれの立場で勇気を出し、誠意を持って話し合ってゆけばコミュニケーションは取れると思います。ただ、話が噛み合わなかっても諦めないことです。それぞれの意見考え方を尊重することが慣用です。
 さて、夜は、「硫黄島からの手紙」を家族で見に行くことに決めました。この映画の感想などは、また後日書いてゆくつもりです。皆さんのお正月は、どんなお正月ですか?