何の為の個人情報保護か?

今フィリピンには2900人の日系2世が暮らしている。彼らのうち約300人が父親の身元が不明だと言う。・・・この中の40人が、日本で新しく戸籍を得るための申請を申し立てている。この申請がいわゆる「就籍」と呼ばれるもので、親の戸籍をたどることにより書面等の証明が得られればその親の戸籍が取得できるというもの。



こうした日系2世の訴訟を支援している、「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」では、今厚生労働省に、父親の戸籍を証明する書類とされている戦前の捕虜名票の開示を求めて争っている。

・・・この捕虜名票は、戦時中に米軍により作成されたもので、捕虜となった者の氏名・年齢・住所・指紋などが記録されているという。

日本政府は、1955年になってこの資料を米側から渡され、2年後には厚生省(当時)に引き渡されている。

・・・現在、約16万人分の名票が、厚生労働省のどこかに保管されているのだが、その公開をかたくなに拒否しているという。

本人などの申請以外は、個人情報の開示を拒否すると言うのが理由であるが、すでに亡くなっている2世などにとって、本人申請をすることが出来ず親族としての開示請求を認めるよう要求している。

すでに、米国のメリーランド州の国立文書館では、現地協力者の手により、名票のファイルから2世の父親たちのデータ356人分を照合したという。



こうした経過を経て、河合弁護士は今年3月に厚生労働省にたいして同省が保管している捕虜名票を開示するよう、情報公開請求手続きをとった。しかし、一貫して厚生労働省は開示を拒否しているが、いったい何を守っているのか?極めて不可解である。



現実に生きている2世の日本への戸籍登録申請を、かたくなに拒否し、証拠として存在している可能性のある捕虜名票を開示しようとしないのはどう考えても不合理であろう。



現実に生きている2世の日本への戸籍登録申請を、かたくなに拒否し、証拠として存在している可能性のある捕虜名票を開示しようとしないのはどう考えても不合理であろう。



個人情報の保護は、国家や権力をもつ社会的な圧力から、個人の権利を守るためにあるのであって、こうしたフィリピン2世の申し立てに対して開示を拒否することは彼らの日本に帰属する権利をはく奪する者に等しい。

アメリカでは、ファイルの開示は許されていると言うが、せっかく日本にある証拠書類が、厚生労働省の倉庫の奥深くに隠されたままであるという事実はどう考えても不合理だと言えよう。



国家は、様々な歴史過程において、次の世の証拠になるような資料を保存しているが、それらは何のために保管されているのかよく考えて頂きたい。

現実に生きている人間の為に、彼らの不遇な境遇から免れるための証拠になるのなら、惜しむことなくそれらを開示して、請求資料が父親の存在と結びつくものかどうかを確かめるために役立てるべきであろう。



確かに個人の情報は、厳密に守られる必要はある。

しかし、旧日本軍のフィリピン2世の場合、他に照らし合わせる資料がなく、捕虜名票参照により父親の戸籍などが判明する可能性が高い場合、惜しむことなく情報の開示を図るべきである。

これが本当の個人情報を保護することであって、厚生労働省の倉庫にしまって誰の目にも見せないというやり方は、個人情報の隠滅と同罪であろう。

請求されている「就籍」要求の対象となる資料を、1日も早く開示すべきことを再度要求します。