ノート術は、仕事術に通じる。

no-mu2008-11-12


・・・今日の一枚について(太陽を撮ることは難しいが、真っ青な空に輝く姿は凛凛しいですね)・・・

仕事柄、利用者宅に訪問していろんな話をし、事務所に帰って記録する作業が常に伴う。サービス事業所のメンバーと話をして重要な情報を記録する際にも、どういう風に記録をするのかが問われてくる。
昔は、ノートにびっしり手書きで記録することが当たり前であったが、字のきれいな人ならともかく、私のようにへたくそな字を書く者が残したノートを他の人が解読するのは並大抵のことではない。
情報記録は自分の日記ではないので、人が読めるように気をつけて書いていても、どうしても時間がなくて乱雑に記録してしまうことが続き、後でそれを自分が読んでみて余りの読みにくさに我ながら自己嫌悪に落ち込むことがままあったことを覚えている。

現在では手書きをすることが少なくなり、記録用にはパソコン打ちするようになった。
パソコンでは、個性あるその人ならではの文字としての味は消失したが、読みやすさという点では革命的な影響を及ぼした。誰でも、決められたキーボードをたたけば確実に文字が書き込まれ万人が判読する情報が書き込めるようになった。

しかし、人間が記録する手書きが全く見せ場を持たなくなったか?と言えば、答えはどうであろう?
依然として、手書きが要求される場面が実際の社会生活ではまだ沢山存在する。
どんなにコンピュウターが進歩しても、人間の手によるノートは貴重な情報記録として残されていく。
分かりやすいノート術を身に付けた者ならば、今度はパソコンを使った記録術においても、どう表現することがより多くの人に分かりやすくなるのか?というテーマに付いて 恐らくより分かり易い表現方法を取得することが出来ると考えます。

面白い記事が出ていたが、東大を合格した学生らがどんなノート術を持っていたか?というテーマで様々なノートを分析した記事を読んだ。
この結果、以下のようなことが分かった。
ノートの種類は、「罫線上にドット(点)が罫幅と同じピッチで打たれたタイプのノート『ドット入り罫線シリーズ』」が一番使い易いという。
ただ文字を書くだけではなく、図を書いたり、コピーを張り付けたりしてとにかく見易いノートを書くことに集中する。
また、記録には段落入りでタイトルを書き、視覚的にも分かりやすい記録が好ましいとされている。

何度も記録の為に時間をかけるのではなく、短時間でのノートにより、大事な内容をまとめる能力が問われているという。

ノートがまとまって書かれていることにより、記憶という点でも整理された情報が残されていくこととなる。

福祉・介護においてもノート術は必要不可欠です。
残すべき情報を、どう記録して次につなげるのか?これは必須の仕事術の一つです。

ケアマネの場合も、絶えず記録というものが問われる。
介護保険開始の頃は手書きが多かったし、パソコンでの経過記録記載の是非がよく議論されたものだ。・・・曰く「パソコンでの記録は、信憑性に欠ける。書き換えや記録の個性が認められない等々」しかし、こうした批判にもかかわらず、現在ではパソコンによる記録が主流となり、それを疑問視する意見はもはや少数派でしかない。
もちろん手書きの芸術性や趣を否定しているのではない。そうした味わいを認めつつ、情報記録方法としてのパソコン手法が、もはや止めることは不可能であり、正確に迅速に情報が伝達されるためにはパソコンが不可欠であることも分かってきている。

こうした確認に立って、人間の頭脳によって書き記される記録の内容が、いかに分かり易く迅速に記録されるのかが問われている。
ノートを記載する人間の工夫というものは、パソコンという道具を使用してインターネット上に情報が公開されていく流れの中にもその成果が生かされていくのです。

改めて、分かり易いノート術を身に付けることにより、一層合理的な理解方法や物事をまとめていく能力を大切にしたいと思う。
・・・因みに、自分のノート術は極めて幼稚であると常に劣等感を持っているのだが、これは自分がより分かり易い記載方法を取得することに努力を怠ってきた結果として、未だに進歩しない記載方法しか持っていないということが分かる。頭が良いから、記載術が優れているのではなく、どうすればより分かり易く、しかも効率的に記載が出来るのかをノウハウとしてきちんと身に付けられる人が、ノートの達人としての資格が備わっている人なんでしょうね。

この年になって今更とはいえ、自分なりに丁寧なノート術の向上を目指すべく、気持ちを入れ替えて手書きの能力開発もしていかねばと気付かされました。


地面に落ちているただの落ち葉ですが、この姿を見て見過ごしていくことが出来なかった。
大地の色と落ち葉の色が溶け合って、ジーンと見る者の心に沁み入って来るものがある。

朝顔の繊維が太陽光線に透けて見えています。

自然にぶら下がっていたんですが、これを見て楽しんでいるのが人間です。

先日、雨上がりに散策していて撮りました。天が与えてくれた宝石です。