翁長知事を通じての沖縄からの声にどう答えるか?

沖縄での政府と沖縄県との確執が、法廷闘争に発展した。
1995年も、当時の大田知事が、米軍用地の強制収用に抗議し代理著名訴訟を法廷で争ったが、国に裁判で軍配が上がった経緯があります。

 今回の訴訟も、国は翁長知事が代表する沖縄の抗議を、裁判という司法の力で黙らせようとしているが、問われていることは、国民一人一人への問いかけです。
 翁長知事の意見陳述を読んでみて、改めてこの問題は、単なる沖縄の新基地建設の問題ということだけではない、深い歴史で刻まれた課題が刻まれていることを知った。・・・少し長いが、翁長知事のコメントを下記に転載させていただきます。既に読まれた方も多いとは思いますが、今後のそれぞれの個人の認識を問い直す声としていただければと思います。

『歴史的にも現在も沖縄県民は自由、平等、人権、自己決定権をないがしろにされてきた。私はこのことを「魂の飢餓感」と表現する。政府がこれを理解しなければ課題の解決は大変困難だ。
 日本政府は1879年、軍隊を伴って琉球王国を日本に併合した。沖縄戦では県民約10万人を含む約20万人が犠牲になった。戦後はほとんどの県民が収容所に入れられ、「銃剣とブルドーザー」で土地も強制的に接収され、米軍基地に変わった。
 1952年のサンフランシスコ講和条約発効による日本の独立と引き換えに、沖縄は米軍施政権下に置かれ、日本国憲法の適用もなかった。しかし政府は2013年、条約発効日の4月28日を「主権回復の日」として式典を開き、万歳三唱をした。沖縄にとっては悲しい式典。全く別々の人生を歩んできたようだ。
 沖縄が米軍に自ら土地を提供したことは一度もない。戦後70年、あろうことか今度は日本政府が「銃剣とブルドーザー」をほうふつさせる行為で名護市辺野古の美しい海を埋め立て、耐用年数200年ともいわれる基地が造られようとしている。14年の全ての選挙で辺野古移設反対の民意が出たにもかかわらず、建設を強行しようとしている。米軍施政権下と何ら変わらない。
 新基地が完成するのに順調でも約10年かかる。その間、普天間飛行場の危険性が放置される状況は固定化そのものだ。
 前知事の埋め立て承認に際し、首相と官房長官の最大の約束だった普天間飛行場の5年以内運用停止を着実に進めるべきではなかったか。約束は承認のための空手形だったのではないかなど、いろいろな疑問がわく。
 国民や多くの政治家が「沖縄は基地で食べている」と言うが、これくらい真実と違い県民を傷つける言葉はない。米軍基地は今や沖縄経済発展の最大の阻害要因だ。米軍基地関連収入は終戦直後には県内総生産の約50%だったが、最近は約5%。沖縄は基地経済で成り立っているというのは過去の話で完全な誤解だ。補助金なども沖縄県が突出しているわけではない。
 この裁判で問われているのは、単に公有水面埋立法に基づく承認取り消しの是非だけではない。戦後70年を経たにもかかわらず、国土面積のわずか0・6%しかない沖縄県に73・8%もの米軍専用施設を集中させ続け、今また22世紀まで利用可能な基地建設が強行されようとしている。
 日本には本当に地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄にのみ負担を強いる今の日米安保体制は正常といえるのか。国民全てに問いかけたい。
 沖縄、そして日本の未来を切り開く判断をお願いする。』

 本土に住む日本人として、沖縄の声にしっかり耳を傾け、彼らを支援するために何をする必要があるのか?自問しています。
 
 きっと、本土に暮らしながら、沖縄の声に協和し、それに連携する方法があるはずだと思うのです。
 来る新しい年へ向けて、そのテーマをしっかり見つめ、形に現す必要を痛感しています。