此れで良いのか?資源枯渇と環境破壊を考える。

2005年1月16日付のA新聞は、資源と環境問題を"未来を選ぶ"と題して特集しております。
もう、読まれた方も多いと思いますが、私なりのまとめと感想を書いてみたいと思います。今から30年以上も前に、「ローマ・クラブ」が発表していた警鐘があります。(世界各国の科学・経済学者らのグループで構成される)1972年にまとめられたものですが、その中で世界の成長の限界が、二つの破局シナリオとして示されています。一つは資源危機、もう一つは環境危機です。今のままでは資源はいずれ足らなくなる。十分な資源があれば、需要に答えられるが、一方で、環境汚染がどんどん進み自然の浄化能力を上回る形で進む。そこで、世界はいきづまる・・・
これは、確かに悲観的な筋書きであるかもしれないが、それから30年経って世界は如何なっているのか?例えば、石油を考えて見ると、80年代以降、世界の石油産出量はピークを向かえ伸び悩んでいる。82年当時、3500億バーレルを越えていた原油の算出量が、現在では、1500バーレルを割っている。80年代以降新規油田の発見が急減している。世界の石油開発業界では、「地球全体の石油ピークが近い」と見る向きが大勢であるという。石油の消費をめぐっては、こうした資源面での制約に加えて、地球温暖化による温室効果ガスの削減・消費の抑制という国際的取組みの面でも規制が強まらざるを得ない状況である。
一方、又豊かさを手にしていない途上国については、成長するための資源確保を主張している事はいうまでもない。中国や、インドといった地域に加え、アフリカなどの多く呑む開発国家では、資源を自分たちの国家開発のために有効に利用しようと計画している。しかし、現状の世界は、20パーセントの豊な地域の国家が、80パーセントの自然環境資源を独占して消費している状態である。当然、先進国と、後進国の軋轢は強まらざるを得ないし、多くの地域で局地的な紛争を発生させる要因は多々起こってくる。それを一つ一つ解決する力を、果たして国連が機能できるのかどうか、又、大きな国際紛争とならないよう防止するシステムがきちんと出来るかどうか、きわめて憂慮すべき事態が進んでいます。イラクの紛争一つを取ってみても、石油という、資源をめぐって、大きな世界の各国を巻き込んだ形での戦争になっているのです。こうした、紛争の要因となりうる、国際的な資源環境問題は、幾つも在るのです。そうすると、今から必要な、未来へ生き抜いてゆくための、人類の発想を切り替えてゆく必要があると思います。否定的な数字が多いのですが、フランスの"ファクター10研究所"の所長F.シュミットブレーク氏が述べているとの事です。曰く「途上国の成長と、先進国の生活水準の向上を両立するには、先進国が資源効率性を現在の10倍以上上げることが必要」と。この数字は、殆ど不可能と思われる数字です。・・・ということは、このまま、現在の資源開発を続ければ、豊かさを得られない人々と豊かさを維持出来ない人々との抗争の歴史が待っているという事になります。

一方で、石油消費に伴い、地球の温暖化を止める意味で、如何する必要があるのかも、大きなテーマとして世界各国に付き付けられています。東大気象システム研究センターと国立環境研究所などの合同チームが発表している、世界最高級速のS.コンピューター「地球シュミレーター」予測によると、世界が年3パーセントの高度成長を2100年まで続け、二酸化炭素濃度が現状の2倍になれば、世界の気温は、約4度上昇する。そうすると、日本の気温は最高気温が30度を越す真夏日にして約120日続く事になり夏の気温は、亜熱帯に近い気温となってしまうそうである。猛暑といわれる年でも、平均気温との差は1度程度であった。・・・ところが、それを大きく上回る上昇が予想される事態になる。恐らく、温度だけの事ではなく、様々な派生する異常気候に遭遇する事となる事は間違いない。南極の氷も、大規模に溶け出し、心配される棚氷の崩壊が進むことでしょう。彼方此方の低い地域で土地の陥没が起こるでしょう。又、スマトラ津波級の地震災害も多発する可能性が高い。
こうなると、イメージとしては、今よりももっと厳しい自然環境の悪化が懸念されることは明らかです。この事態は、地球規模で起こると予想されることなのです。こんな問題を隅に置いて、やれ、軍事予算の増大や、"正義の戦争"を唱える政治家たちが、世の中を闊歩していること、これは情けない。
こうして、様々な形で協力してやってゆかなければならない事が沢山在るんですから、国家間で抗争している暇はないのです。無駄なエネルギーを削減して、有効な経済協力と文化的交流を進めることが必要です。もう、どちらの国家が正しいかどうか?などという無駄な政治家の論議は横に置いて、地球規模の共同作業を推し進められる指導者を選ぶ必要があるのです。これは、独裁者では出来ないことです。民衆の自由な意見と活動を阻む強権政治化では出来ないことです。本当の意味で、世界の人々が自由に行き来し、協力して、平和に暮らせる地球にするために、此れからの私たち1人1人の役割を果たしてゆきたい、と念じます。

低迷する日本の草の根募金。何故なのか?

現在世界各国の募金運動が盛んである。今回の地震災害が、単に地元の人々への被害だけではなく、多くの外国人被災者を出したことも、その理由として挙げられる。欧州の旅行者は数千人今回の津波で犠牲になっているが、特にスエーデンが多い。約2000人が犠牲になったといわれている。この事態の中で、政府の募金だけで十分ではないとの理由で、民間からの草の根募金が盛り上がっている。例えば英国では、政府発表で1億4千万ドル、民間から1億8700万ドル。オランダでは、政府発表で3400万ドル、民間より1億4820万ドル。スエーデンで、政府発表8000万ドル、民間で7200万ドル。一方日本では、政府発表で、5億4000万ドル、民間で2350ドル。大方の国が、政府の援助額よりも民間の支援額が多くの募金実績を作っている中で、日本の民間募金額の低さが目立つ。これは、一つには、去年、新潟での地震を始めとして様々な災害が発生しており、今回の津波に対する募金活動があまり進んでいないことも原因している。・・・今回の津波被害では確かに、日本人の被害は、他の国に比べて少ない。しかし、だからといって、募金活動が低迷して良いわけはないと思う。むしろ、日本に近い東南アジアで起こって大規模な災害に対して、もっと強力な支援体制がとられても良いのではないか?
最近は、自衛隊も緊急支援活動のために災害地域へ派遣されているという。これは、当然のことであり、そのための普段の備えをしていると思う。本来、自衛隊は、こういった、災害救助活動の中で、日本および近隣の災害の救済を行う機関とすべきであり、軍事的な装備や戦術は必要ないと思う。もともと、日本の憲法は、自国の軍隊を放棄する中で平和国家として発足する事を宣言しているのです。今回のような大地震のときに、緊急の援助を行う事が出来る機関として存在意義があると思います。
今回、草の根募金運動が盛り上がっている中で、日本に住む我々は、もっと真剣に津波災害の人々を支援する意義をもう一度確認してゆきたいと思う。継続的な支援体制を多くの人々が協力される事を呼びかけるものです。