教育委員会指導に異議あり・卒業式の在り方を考えます。{/fuki_yonde/}

先月、全国の学校で、卒業式が執り行われた。



参加する児童・生徒にとっては、学園最後の式典です。趣向の凝らされた内容も良し、伝統ある風格を持つものも良し、自主企画の斬新な形式もまた良し、要するに、いろいろな遣り方を先生・生徒が話し合って計画すれば、良い式典になるはずである。一つの、拘った遣り方を強制するのは如何なものか?



今年の場合、多くの学校では、上からの強制では無く、自主的に企画された式典が行われたらしいが、東京都や、広島県では、教師に対する、また生徒の”態度”に対する監視が行われ、たとえば、君が代を起立して歌わなかったとか、生徒がきちんと起立するよう指導しなかったとかで減給・戒告などの処分がされている。そもそも国家を歌うことが、なぜ強制されなければならないのか?教育的指導といっても、国家を歌う・起立する等は、個人の裁量の中で行う行為である。教育の中で強制することではない。

特に、東京都の場合は、首長の石原知事の考え方も反映して、何かと高圧的な強制が出てくる。国旗や、国家に対する態度が、ここまで強制されることについては、大いにに異議を持つものである。

そもそも、現在の国旗や、国家に親近感を抱けない人が沢山いることを考慮すべきではないのか。

たとえば、国旗は、戦前から変わらず、同じもの。如何しても、暗い戦争のイメージが伴う。敢えて言えば、自分は、国旗を新しいものに代えてもらっても良いと考える。日の丸で無ければならない根拠はどこにも無い。(日の丸は、お弁当だけで良いんでは?

たとえば、愛知万博でキャラクターの、モリゾウ君などが取り上げられているように、ニホンちゃんなどの名前のキャラクターがメインのシンボルになっても良い、と思います。

言いたいことは、暗いイメージの国旗より、明るい、世界の人々もひたしめる平和のシンボルに変えるべきであると、思うのです。現在の日の丸はあまりにも多くの人の血に彩られすぎていると思うのです。



次に、国歌ですが、これについては、ぜひ変えて頂きたいと思うのです。君が代の旋律は、国家としては珍しく陰気な陰のある曲です。曲が悪いわけではないのですが、こんな曲を国家としていつまでも存続する意義は無いと思います。もっと、明るい、楽しい威厳のある曲を国歌として造って欲しいと願います。・・・音楽には好みがあり、それぞれの思いがあるものです。これを、どう聴くかは、それぞれの個人の問題であり、国家が立ち入ることとは思いません。

この意味で、国家を歌うときに立ち上がるか、座るかはたまた寝転んでいるか・・・それは、個人の領域での問題だと思うのです。もちろん、他の国の国家に敬意を払うことは、道義上必要だと思いますが・・・



一番けしからん! と思うことは、今回の教師への処分です。自分の意思で、国旗掲揚、国歌斉唱をしない先生を、如何して処分する権利が教育委員会にあるのか説明してもらいたい。基本的人権が認められ、個人の自由を認める憲法からかけ離れた罰則です。

人々の同意が、結果として一つとなることには、誰も反対しないでしょう。

しかし、規則として縛り付け、自分の意に反して遣らされる形での式典運営には同意しかねるのです。そんな卒業式を体験して、如何して子供たちが育つのか言ってもらいたいと思う。



もっと、自由に、もっと自主的に子供たちを信じて企画させることのほうが大切だと考えます。大人たちが出来ることは、そうした、自主運営化された式典を、温かく見守ることだと、私は思います。