偽りの謝罪ではなく、本当に安全な輸送を確立せよ!

107人の犠牲者を数え、今なお165人が入院し、そのうち12人が生命の危険を持つ状態に置かれているのです。これだけの痛ましい犠牲に対して、JR西日本は、今だ、輸送体制の全面的見直しをせずに今日まで来ている。マスコミからは、過密ダイヤの私鉄との輸送における競争が、ここまで危険なダイヤを組むに至っている事が指摘され始めているにも拘らず、当事者のJR西日本自身は、”必要ならば、ダイヤの見直しもします・・・”などと、嘯いている。ここまでの大事故が発生しており、すぐにも見直しを断行することは避けられぬ課題であると、誰しも考えているのに・・・



ここまでのJR当局の対応だけでも、如何に、根本的な経営姿勢の問題であるかが判らなければならない筈なのに、一向に、当局の真面目な対応が見えてこない。



被害者の遺族である、藤崎さんは、娘の光子さんの犠牲に怒り、「自分の後の人生を掛けて、JR当局の責任を追及する」と発表されたことが報道されています。彼女は、印刷業を経営する中で、かって、信楽の事故に関する資料を請け負ったことがあり、その際、如何に事故犠牲者の悔しい思いが綴られているかを知っていたそうです。たまたま今回、自分の娘を、こうした列車事故により失い、遺族としての悔しい思いを自ら体験する事となったという。本当ならば、印刷の仕事を娘に引き継ぐことが出来たはずなのに、もうその娘が居ない。なぜ、娘の命が失われたのか、その原因を明らかにし、責任をはっきりさせない限り、娘は浮ばれないと、考えている。この親の思いは、よく判るし、JRよ、心して、裁判に臨んでもらいたい。



ところで、亡くなった方の年齢的な内訳も判ってきており、17歳から19歳の若者が18人犠牲になっていることが判った。内訳によると、106人、(昨日28日調べで)のうち、十代が18人、20代が19人、30代が21人、40代が16人、50代が19人、60代以上が12人となっている。朝の9:30過ぎの電車ということで、通勤に加えて、通学の若い男女が多数乗っていたことがこのような若年層の犠牲を多くした原因となっている。・・・もし、これが、深夜帯などの乗客が少ない時間ならば、これほどの犠牲には至らなかったかも知れないが、事故というものは、そうした人間の思いを超えたところで起こっている。





逆に理由付けるなら、過密した時間帯の殺人的なスケジュールが引き起こした、人災である、ということが出来ると思う。当局の安全性を無視した、速さとスケジュールの正確さだけを追及した結果が、こうした多数の犠牲を起こしてしまう原因となったのではないか?問題は、こうした反省を、JR当局がまだ、きちんと始めておらず、とおり一辺倒な対応、今までの運転管理の反省をしようとしていないことが問題であると思う。

一分、何秒を争うような、そんな綱渡りのような運転ダイヤを、もう一度見直して、規定速度で運行可能なダイヤ作りをして貰わなければ、また悲惨な事故は避けられない。

乗務員からの、もっと積極的な発言も求められている。JRの内部からも、建設的な意見が出来来なければ、こうした体制の見直しは難しいと思う。・・・これこそが、コンプライアンスの精神である筈だが・・・



現在の社会事態、少し急ぎ過ぎだと思う。企業や、学校でも、一分の遅刻や、遅れを責めるような風土が残っている。こうした勤勉さが実は問題であり、逆に人間への異常な管理体制と、変質しているように思える。そこから、今回のJR西の事件が起こる社会的背景を関連させて考えることが出来る。いわば、社会の企業や、教育の要請が、客観的には在ったのだ。



少しぐらい遅れても、その分遅く仕事を遣れば取り戻せる、そういう大らかな社会規範作りが、今求められていると思うのは、私だけだろうか?