湯之上さん(JR事故車両に乗っていて負傷する)の言葉に耳を傾けよう

湯之上さんは、事故後20日を経過して、病院を退院し、職場復帰へ向けて心のリハビリ中との事。幸い、怪我は大きな後遺症も無く、早期に治療を終える事が出来た。それは本当に幸運であった。しかし、彼の車両の周りの多数は、亡くなっている。2両目に乗っていた彼の周辺にいた殆どの方は、猛烈なクラッシュにより押しつぶされ即死している。・・・彼は、不幸中の幸いか、生き残った。それは、神の悪戯なのか?・・・一体自分にとってのこの事故体験は何なのか?今湯之上さんは、深い心の痛みに向かい合っている。



彼の痛みは、自分達少数だけが生き残る・・・そうした、本来幸運と認識される筈の出来事が、そうではなくて、逆に心の痛みとなってしまう・・・そうした辛い立場にある事を知る。恐らく、彼や、彼と同じように助かった事故被害者しか判らない心の痛みを、此れから如何向き合い続けてゆくのか、人生における大きな経験を背負って生きてゆく事になる。



彼の経験を、彼1人だけの負担にすることではなく、周りで、共に生きる人たちと思いを共有する行き方が必要となる。1人で悲しむ事ではなく、共に泣いて悲しみを共有する事により、本人の負担が少しでも軽くなる・・・そんな行き方が必要だと思う。



湯之上さんの言葉では、知人から、「生き残れて良かったねと云われると・・・正直其の言葉は嬉しいが、反面、自分だけが生き残れて、死んでいる人に申し訳ないという気持ちになる・・・」と語っている。

どれほど、この事故の体験が、彼の今後の人生に重くのしかかってくるか、それは計り知れない。しかし、だからこそ、周りにいる人たちの、温かい対応、ふれあいが大切になる。

どんな体験を背負っても、そばにいる人々の愛情と支えがあれば、きっと苦難を乗り越えて生きてゆく事が出来ると思う。



湯之上さん、1人では無いんですよ、苦しかったら、何時でも、其の思いを、私達に聞かせてもらえませんか?

共に、心の思いを受け入れる中から、次に来るべき、優しい行き方が見えてくるのではないかと思います。