一日、何回メールしてますか?

先ほど、テレビで、遣ってたんです。「一日何回メールをしているか?」という質問に対して、20回くらいしている人が、結構いてたので驚きました。というのも、自分自身は、PHSしか持っていないし、必要と思えるときだけメールをします。・・・だから、僕の場合は、必要時だけ、という答えになります。



中には、50回、あるいは、もっとそれ以上、数えた事はないけど、一杯やっていますという人もいる。一日の生活の中で、そういう人というのは、生活の中のひとコマひとコマで、メールをしている人、という事になり、驚きです。仕事中などでも、きっとそういう人は、トイレなんか行って遣ってるんだろうな?



しかし、こういう、メール世代の人間とちがって、「携帯電話は、持ちません」と云い切れる人も、叉結構いるんですよね。このての人達は、それぞれ、携帯電話を必要としない、あるいは、別のコミュニケーションツールを持っているわけです。例えば、電話は、家や、会社にあるもの、あるいは、公衆電話で、十分事足りる、という考え方を持っているから、携帯電話を持たない。電車に乗っているときや、車の運転をしている時などは、いちいち電話で話をする必要を感じない人たちです。ある意味では、それは、マナー習得している紳士淑女の行き方とでも云いましょうか?



人前でも、はばかることなく、大きな声でしゃべったり、人が聞いているのに、いちゃついて猫なで声を上げたり、下らない事をグタグタ話している場面は、皆それなりに、経験しているでしょう。・・・聞かされている方は、あんまり良い気持ちではないですよね!



電話でも、メールでも、やっぱりそれを使うには、節度と云うものを持つべきだと思う。



横にいる人たちへの配慮という事も、社会生活をしているんだから、必要です。ただ、メールの場合は、音が出ないようにしていれば、他人さんへの迷惑になるわけではない。其の分、好きにしたら良いのかも知れないけど、電車に乗れば、メールをします、と云う文化は、確かに、現代の、日本の社会では、当たり前の事になってしまっています。(紛れもなく、現代の生活文化としてメールが在ります)



誰かと、簡単に、文書のやり取り、話のやり取りが出来てしまう、このメールと云う奴、此れを如何使うのか、未だ学校では、教えてくれない。コンピューターは、教える学校は増えているが、メールを教える学校は、未だあまり聞いた事がない。

そこで提案です。



是非、”メール方法論?”とでも云う講座を、学校で始めて頂きたい。

メールを如何扱えば良いのか?こんなことが在るときは、こうすれば問題が解決するとか、こんなトラブルのときは、此処に聞いたら、解決法が分かる、とか、色々、皆で考えてゆける事って在るんじゃないだろうか?

時代の、携帯電話の普及と様変わりは、ホント、凄い勢いで変化しています。

携帯の扱い方にしても、機種が変われば、機能も違うし、・・・私ども、あまり携帯電話を使わない世代の人間としては、電話で話すこと以外には、様々な機能については、トンと、判り辛いです。



メールをする事が、いけないかどうかじゃ無しに、何のために、どういう風に使えば良いのか、共に考える時間が在っても良いと思う。

・・・そう云えば、自筆で、手紙を書くことなど、ホント少なくなってきました。書かないから、益々、字が書けなくなり、手紙から遠のいてしまう、という事も在るのです。お正月の年賀状で、達筆の筆書きのものが来ると、「ほう!」と感心してしまいます。字の綺麗な人、個性のある人は、それだけで、得だと思います。(叉、徳でもあります。)・・・自分なんぞは、ミミズの這う字のようで、とても恥ずかしい字しか書けないのが現実です・・・でも、だから、コンピューターは便利だとも思うのです。読み難い自分の文字も、人様に読んで頂ける、活字に転換してくれるんですから、それは感謝しています。