劉さんの逆転敗訴に思う。

強制連行で中国から連れてこられ、(これは、拉致ということです)北海道で強制労働させられ、途中で脱走し、13年間終戦を知らずに逃亡生活をして、国に2千万円の損害賠償を求めた裁判です。一審の東京地裁では、劉さんの請求を全額認める判決が出たのですが、23日、東京高裁では、逆転判決となり、劉さん側の請求が棄却された。



何故、今回の高裁で、劉さんの家族の訴えが棄却されたのかについては、劉さんの連行にまつわる経緯の不当性を認めながらも、「国家無答責」の法理を適応した。

これは、47年の国家賠償法施行前の国の権力行使についてその責任を追わない、という考え方を示した。これにより、戦前の国家の罪を問えないとしたのだが、この論法は可笑しい。もし、それが妥当性を持つのなら、例えば、一切の遺族補償すべてを打ち切るべきである。一方では、戦前の国家に対する遺族の功績に慰労金を出し、一方では、戦前の国家の罪状を認めないという論法は片手落ちではないのか?ましては、現在北朝鮮拉致問題が大きく取り上げられているが、日本は多くの中国人を強制連行という形で、拉致して国内の作業所に連行したことを如何裁くのか?この責任を、誰が取るのか?または、取らないのか?

「国家無答責」という考え方には、到底同意するわけにはいかない。

国家賠償法の6条を引用して、「外国人が被害者の場合は、国同士の相互の保障があるときに限り適用する」として、同法施行から、劉さん発見まで、中国には賠償法がなく、日中両国民が、互いに他方の国に国家賠償を求められる”相互保障”が成立していなかった、と述べて、請求を却下している。また、不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」の適用を認めた。

一審では、この「除斥期間」の適用が不当であることを上げていたが、今回の判決では、正義公正に反する、とはいえない、としている。明らかに、この判決は、一審より後退している。

今回の判決は、極めて日本の責任を曖昧にする判決と言えると思う。



一方では、北朝鮮への、拉致非難を浴びせながら、一方の60年前の自国の罪については、まだ白を切る遣り方である。これでは、中国を始め、東南アジアの人たちの怒りを招くのは避けられない、と思う。何故、謙虚に自国の罪を認め、謝罪することが出来ないのか、怒りさえ覚える。



このような判決が続けば、当然、中国や韓国からの反発は避けることが出来ないと思われる。



劉さんは、終戦直前の45年7月30日に脱走した。そのまま終戦を知ることなく、洞窟にて生活し、58年2月に保護された。・・・提訴したのは、96年だが、一審判決前の2000年に87歳で亡くなった。



今回の劉連仁さんのように、中国や、朝鮮より強制労働にて日本に連れてこられた人は、何万人といる。・・・いわば、かっての日本の国家は、拉致にて国家的に人々を連れてきて働かせていた罪があるのです。この事実を伏せて、現在の拉致で、北朝鮮を盛んに攻撃している遣り方には、どこか不自然な気がします。もちろん、何時の時代であっても、強制連行自体が不当な暴力であることはいうまでも無いことです。どの時代であっても、こうした犯罪を防止し、裁いてゆく必要があると思います。



劉さんの遺族は、今回の判決を不当として、上告するとの事です。

歴史の清算を逆回転させず、誤りの無い、判決を次回は行って欲しい、と強く要望したいと思います