ある男の死。

今日、午前に、私が関わっているケースに担当する某事業所の担当ヘルパーさんから電話が入りました。・・・朝、予定している時間にヘルパーが訪問すると、利用者が亡くなっていたのです。・・・直ぐに警察へ連絡をして、検死のための一連の取調べを受け、一段落をしたとのこと。・・・この一件の背景をまとめて見ると・・・



1人暮らしで、ひたしい知人も居られない。家族は既に奥さんと離婚されており、子供さん達も遠方に居られるので殆ど訪問されることもない・・・こんな境遇の方は、沢山居られるので、不思議ではないが、このYさんも完全に希望を無くされた生活をされていました。おまけに、癌による何度かの手術を経験し、生きてゆく意欲も磨り減った状態におられました。



私がこの方の担当ケアマネをしたのは、1年半ほど前でしたが、それまでいろんな事業所で上手くいかず特にコミュニケーションをとることが難しいようでした。



Yさんとの相性は、まあ悪くなかったので、それなりに毎月いろんな話を致しましたが、彼は、人から意見される事だけは認めませんでした。私のほうが聞き役に回って色々話を聞いているときは良いのですが、いざ、自分の事に話しが及び、生き方を揶揄されるようなときには、人が変わった様に頑なになってしまわれました。

例えば、食事のことなどで、きちんと栄養を取るようにして欲しい事を話し出すと、とたんに黙りこくって、”食いたくないものは要らない”と子供のように聞く耳を閉じてしまわれます。

叉、最近酷くなっているお酒の呑み過ぎ、(ウィスキーの水割りを何時も呑まれていました)を控えて、食事をきちんととって頂きたいことなどを話し出すと、”俺が欲しい物を、飲んで何処が悪い”とマジで怒られてしまう。担当のヘルパーさんなど、何時も睨み付けられていましたし、利用者のためと思って、食事を勧めても、食べたくないものは一切手に付けられない・・・そんな気ままさがありました。



飲酒に輪をかけたように、タバコも始められ、面談しているときも、しょっちゅう煙を吸われる様になり、この習慣はとうとう死ぬまで収まる事はありませんでした。(私はタバコを呑まないので、煙たくて何時も困っていました)

こうして、体に悪い事を続けて行けば、いつかは、病気を加速し、自らの生を縮めることになる事は、本人も充分に自覚されて居りました。



何時も口癖のように云われている言葉は、『朝起きて、そのまま死んでいれば良いのにと、思うんです』この言葉は、何度となく、本人の口から聞きましたが、最後にそれをそのまま実行されたわけです。



誰に看取られる訳でもなく、ひっそりと死んで云ったYさんのことを思うと、孤独な生き様の中に、どこか割り切れないものを感じます。

昔、かっては家族もあり、子供さんもおり、愛する妻も居られただろうけれど、様々な経過の中で1人孤独に死んでゆかねばならない人がいたことを、私は記憶の中に覚えて起きたいと思います。

何とか、本人と話をする中で、心を開く方法はないのかいろいろ遣ってみましたが、彼の心は頑なに何時も閉じていました。

でも、彼が笑顔で多弁になった事も何度かあります。例えば仕事で海外に行って体験したことや、少年時代に、スポーツをして屈強だった頃の事などを話すときのYさんは得意げで満足そうでした。英語なども堪能だったそうで、そういう技術を使って仕事をされたらどうかと奨められたときの自尊心をくすぐられた様な苦笑いが忘れられません。



概して、彼は自己中心であり、人のことを念頭に置いてはいませんでしたが、カレンダーに綺麗な花の写真があったりすると、たいそう満足されて壁に飾ってくれました。テレビも付けず、ラジオも聞かれることなく新聞も読まない・・・そんな生活からは、生きるための活力が生まれて来る訳がない・・・此れは当然といえば当然です。



癌の病にかかってから病院を退院して在宅生活に戻りはされたけれど、前向きに生きるにはあまりにも明るい材料が彼の手元にはなかったわけです。

自業自得といえばそれまでですが、援助者として、傍にいながら結局何も出来なかった私達の無力もまた感じさせられました。

本気でもっと、彼の健康を願い、彼のために『タバコや酒なんか止めろ!』と言葉を発してあげれば、あるいは少しは前向きで、彼も生き始めていたかもしれない。・・・そこまでぎりぎりの線で彼と向かい合えることは出来なかったことも事実です。



今日、1人の男の死を前にして、つくずく、自分は無力だと思います。結局は、その人の生き方に他人が入り込むことは出来ないことだと思いました。その人の生き方と言うものは、その人が決めてゆくほか仕方がないからです。

でも、それは、一定の距離を常に念頭に入れていたからであり、若し、一線を越えてその人と向き合うことが出来れば、あるいは、何か別のことが起こっていたかもしれません。



今、私は、Yさんに云いたい。『どうせ一度しか死ねない。もっと必死で生きてみろ。君しか出来ない事を探すんだ』と。

でも、もう、君は、私の声が届かないところへ云ってしまった。

『もっと、頑張らんかい。そやから云った遣ろう。わしの遣り方見ててや、きっともっと上手にやり遂げたるさかいに・・・』



未だ、60の還暦に届くことがない50代の後半。あまりにも孤独で若すぎる、衰弱死でした。