車社会で何をしてはならないか?

先日、猫の飛び出しを避けようと、運転を誤り、園児たちの歩行の列へ車を突っ込ませて、多くの子供たちを大怪我させた男のニュースが報道されておりました。どんな理由があれ、いったんハンドルを握ったなら、絶対に誤りのない安全運転をする気構えが必要なのですが、この男、何を錯乱したのか?猫を避けて、子供たちの塊の中に車を突っ込ませてしまったという・・・



居眠り運転ではなかったらしいが、何故、猫一匹で急ハンドルを取り、車を暴走させたのか?詳しい状況は判りません。

たまたま、出くわしたドライバーたちが駆け寄って、下敷きになっている子供たちを車を持ち上げて助け出したとの事ですが、この運転手の責任は重い。



今日、車を使わない生活は無理かもしれないが、使うからには当然、人間のミスを失くす為の配慮は必ず講じられなければなりません。

これが、まともに出来ない人には、運転免許証は、渡すべできはない。

人に迷惑をかけるような大騒音を立てて走り去る車、暴走癖のある者・・・こんな人には、運転免許は交付してはならないし、免許取り上げの制裁を与え、これに違反するものは、厳罰に処す必要があります。



車は、一つ間違えば、恐ろしい凶器になりますし、現実に、こうして沢山の人達が傷つけられている現状では、やはり、車を運転するものへの厳しい規制が必要でしょう。ドライバーには、それだけの責任があるということを、もっと安全教育する必要がある。

それから、一方では、車からの被害を避けるためには、歩行する者も、出来るだけ安全な歩行を心がけ、信号などもきちんと守る必要がある。信号が赤なのに渡ってしまって撥ねられても、賠償責任が半減してしまうことを知るべきです。

今日では、歩道を歩いていても、車が襲ってくるかもしれませんので、安全なところなどどこにもないのかもしれませんが、最低限度の対策は講じておきましょう。

特に、自転車に乗る方の信号無視は目に付きます。



それから、事故になってその原因を調べると、決まって明らかになることは、急ぎすぎと言う事です。時間を気にして、目の前の人や車の注意力が低下しているときが一番危険です。その意味では、心のゆとりが、まず求められるのです。



取り返しのつかない事故を起こせば、自分も、その被害者も、一生自己の痛手を引きずって生きてゆかねばならないことになります。

毎日、車のハンドルをひぎらねばならないドライバーの皆さん、心のゆとりを、常に持って安全運転してゆきましょう。