昨今、イラクでの外国人記者の活動が益々危険になっている。03年からの2年半で、実に73人の報道関係者の死者が出ている。この中には、橋田さんらに本人記者も含まれており、何故こうした現実になっているのかが心配される。・・・あのベトナム戦争でも、75年までの20年間で、63人の犠牲者だと言われている。・・・如何にイラクの情勢が短期間のうちに出された犠牲として異常な数字であるのかが判る。
昨今では、外国人特派員などの活動は、極めて限定された状況でしか活動出来ない状態となっている。
叉、それに連れて、イラク人記者にも拉致や殺害の手が伸びており、報道の自由が保障されていない。もはや、イラクでは、報道記者の活動は命がけの活動となっている。
例えば、9月の末には、イラクのネット新聞「キタバト」のアルディーン記者が、南部のバスラにて、射殺体で発見され、彼の右腕が切り落とされているという残酷な殺し方に批判が高まっている。
しかし、こうしたテロは、止まるところがなく、目立つ活動をすると狙われてしまう恐怖が、イラク社会を覆っている。アルディーン記者の場合も、スンニ派の武装勢力と、米軍に対する批判だけではなく、シーア派の政党にまで批判の矛先が向く記事を書いていたためと言われている。
しかし、言論の自由を象徴する新聞関係者が軒並み狙われているイラクの現状は、如何考えても異常である。
こうした状況を放置すれば、民主主義の根幹が否定されることになり、云いたいことが自由に云える社会では無くなり、独裁国歌が根付いてしまうことになりかねない。
命がけで取材する報道関係者を守る事は当然必要だが、こうした暴力の風潮を何処かで断ち切る必要があると思う。
そのためには、政治的な正常化を早く回復して、イラクでの平和的手段による社会復帰が急がれる。人を殺し、傷つける応酬はもうこりごりです。こんなことを幾ら続けても、何の解決にもならない。
現在のイラクの状況で必要なのは、武器を横において、話し合いで物事を解決してゆく知恵だと思います。その知恵が、イスラムの教えの中から生まれるならば、大歓迎です。しかし、憎しみしか生まないのならば、そんな宗教は必要ではない。平和を進める宗教こそ、人民のための宗教たるゆえんだと思います。人種と宗派を超えて、イラクの人々の平和のために全ての宗教者は団結すべきです。