再び、大平光代さんのことを書いておきます。

今年に入って、大阪市の顧問弁護士選任をめぐって議会勢力との確執が起こり、関市長が推す大平光代さんが、選任を辞退することとなりました。これについては、前回もブログ等に書きましたが、市内部からの改革が、いかに難しいかを物語っていると思うのです。

もともと、大平さんは、議員連中などとは畑の違う分野で活躍されてきた方ですが、関市長に認められてからは、大阪市のこの間の改革の中では中心的役割を果し、尚且つ特異な存在でした。

彼女の手腕については、市長自ら大変評価されており、だからこそ、選挙で再選されてから、再び大平さんに、市政改革の中心部に留まることを呼びかけられたのだと思います。この意味では、関市政にとって、大平さんの手腕は不可欠と考えられていたと思います。



しかし、与党の自民党や、公明党などは、この間の大平さんの遣り方が、自分たち議員の既得権を侵害する意味において、煙たい存在であったと思います。

その問題の典型的な現われとして、利権に対する口利きの規制、記録化の問題であったと思います。これについては、議員の行動を記録化することにより、市民に対してより公開された活動を促そうとした大平さんの方針に対して、与党の議員連中が猛反対をしたからです。

この時、ちゃんと大平さんを擁護する勢力が存在していたなら、恐らく、大平改革は続けられたと思いますが、事実は、大平さんの気力のほうが萎んでしまったのです。

市政の内部からの改革の難しさと、分かってくれない頭でっかちの議員連中に、もはや勇気を持って立ち向かう気力をなくされてしまったと言えます。



本当は、こうした大平氏の悩みを、関市長が、護り擁護する必要があったはずですが、事実は、彼女を護りきることが出来なかったのです。

一方、与党議員たちは、これ見よとばかりに、助役の椅子を投げ出した大平氏に、説明責任と、仕事を投げ出したことへの「無責任」攻撃をしたわけです。

都合が悪くなって、仕事を投げ出すような者に、市政の改革を任せるわけにはいかない、とがなりたてました。



何を言われても、それに言い返す気力もなく、大平さんは忽然と市役所から姿と消してゆかれました。・・・そして、年を明けて、(恐らく、関市長との面談が為されたはずですが)一転、顧問弁護士の受諾の報道がありました。



・・・これを聴いて、私だけではなく、多くの人が驚きましたが、私の場合、「遣ってくれるなら、お願いしたい、応援するよ」と言う期待感で胸を膨らませたのです。





ところが、議会勢力などの猛反発が明らかになり、大平さん自らが、発言を訂正して、就任を辞退する、と言うことになりました。

自分の就任のことで、また議会がごたごたすることは止めて欲しい、と願われたからでしょう。

大平さんの顧問弁護士就任を阻んだ原因が何であったのかは、先に述べたようにはっきりしています。

こうした勢力の存在自体、一匹狼としての大平さんにとっては煩わしい人達であったと思います。大平さんの性格としては、こうした連中と日夜激論を交わし戦い続けることは意味のないことに思えたのだと思います。

彼女が遣ってゆきたかったことは、現実の議員連中には理解できなかったであろうし、ついて行く気持ちもなかったのでしょう。



そこには、関市長の思いと、大きな開きがあったのです。今後、関市政が、どういった改革をしてゆくのか見守るしかありませんが、与党などの議員連中の言いなりにはなって欲しくない。



大平さんが叶えられなかった問題はやがてもっと明らかになるでしょうが、市政の外からでも、遣れることは沢山あるはずです。もともとの専門職である弁護士活動を通じて、大平さんらしい活動を期待したいと思います。



大平さんのような人が、未だ大阪市改革では受け入れならないところに、大阪市の深い膿があるように思います。



いったい、誰が、こうした膿を吐き出して、奇麗にする役割を果すのでしょうか?