頑固一徹の”堀江”という人間を考えて見ました。

ライブドア事件の解明はどんどん新しい事実と証拠が明らかになり、容疑者たちの犯罪の全貌が明らかになりつつあります。・・・マスコミは、こぞって、いかに”堀江もんたち”が悪どい銭儲けに奔走していたかを連呼し、報道しております。

一方、宮内取締りなど3人の容疑者は、こぞって、捜査に協力的だと言われています。彼らは、自分たちの犯行を認めており、ここでは正直に捜査協力することが自らの判決を少しでも軽くする道であることを感じていると思われる。・・・しかし、本丸の、堀江貴文容疑者は、まだ自白どころか、捜査に対する協力も一切していないとのこと。彼の闘いは、留置場の中でもまだ、続いていると推測できる。

いったいなぜ、ここまで彼は、司法当局と対決するのか?非妥協的な対応により、何らかの有利な展開を引き出せる希望があるのか?その辺を探ってみたい。


膨大なメールに関しても、そのほとんどを捜査陣はコピーして持ち帰り分析をしている。一つ一つ、事件に関係する証拠が捉まれ、やがては犯罪の情報もすべて明らかにされ、壕が埋めてゆかれることは時間の問題だと思われる。それが理解できないほど堀江容疑者の頭が悪いとは思えないが、彼がここまで容疑を否認する理由はどこにあるのか?

・・・ここまで世間から”こてんぱー”に叩かれている。もう、最後まで落ちるところまで落ちたほうが潔い筈であるのに、彼はまだ、留置場の寒い一室に篭りながら、一人捜査陣を相手に”格闘”している。こんな戦いは、かっての冷静な彼ならとおに試合放棄していたことだろうが、あたかも、ドンキホーテの様に一人諦めない抵抗を続けている。・・・ここまで、彼が白を切ると、かえって、労いの声をかけてやりたくもなってくる。

「おい、堀江もん、もうええやんか?不正なやり方で築いた金全部なくなってしもても、元々や。・・・始めから、何も無かったやんけ!」

そう声をかけてやって、彼の肉付きの良い肩を、「ドン」とどついてやりたくもなる。



しかし、現実の堀江容疑者を見たら、逆におそらくむらむらと腹が立ってくるようにも思える。これだけの人を騙し、多数の人に損益を与え、自らの非を認めようとはしない「確信犯」に対して、同情の余地はないと云わねばならない。

所詮、彼は多数の人を指導し、導くだけの器じゃないということです。

人間、失敗して下手をしたおりは、素直に謝り頭を下げる、という礼儀を知っておかねばならない。

ところが、”東大”=エリートから成上がった堀江容疑者は、人に頭を下げること、自らの非を認めて誤るということを学んでこなかった。・・・常に自分の好きなように生き、好きな事を摑んできた成上がり者は、妥協ということをしならない。

今回、こうした彼の性格的な欠点が、最終的に自分の墓穴を掘ることになりそうだ。

昔は、骨のある政治犯や思想犯は、刑務所の独房でつながれながら、そこで次の活動へ向けた充電期間を設けたという。・・・しかし、今の堀江容疑者にそれを求めても所詮無理というもの。

ぼろぼろに捜査陣に責め立てられて、はたまた言いくるめられて容疑を固められ精神的なダメージを大きく受けてしまうことが落ちだ。

彼には、思想的なバックボーンも、自らの理論的根拠も何も無い。あるのは、大きく傷つけられて取り繕いもままならない自尊心の薄暗い心の大海原だけである。

彼を救えるものは、宗教の世界かもしれない・・・