微修正で、基地建設が許されるのか?・・・普天間基地建設問題を考える。

政府は、さかんに地元首長などと協議を繰り返して、建設に対する地元住民の反対を押さえ込もうと躍起になっている。・・・既に建設そのものは、政府と米軍との間で密約が成立しており、残すところは地元の意向を”宥める事”に焦点が集まっているように見える。

しかし、もともと、地元住民の意向など、戦後60年まともに考慮されてきたことは無いのであって、常に沖縄の意向は握り潰されてきた事を忘れてはいけない。



太平洋戦争の末期、沖縄の戦闘では何十万人の住民が殺戮された。・・・互いの軍隊が殺しあうだけでなく、老若男女かまわず犠牲にされた沖縄戦の悲惨を誰が忘れるものか?



ところが、沖縄の基地は、こうした多大な犠牲の上に、引き続き米軍基地の継続と使用とを認める方向で建設されてきた。平和を尊重して、基地を永遠になくすのではなく、米軍の世界戦略に組み込まれて軍事基地の街として沖縄が蹂躙され続けていることを知らなければならない。・・・ここに、沖縄の人たちの苦しみの叫びがあることを、本当に本土の人たちは知っているのか?

特に、協調しなければならないことは、政治家たちが、こうした沖縄の声を常に無視して押し潰して来た事である。



今回、政府が、米軍機の飛行ルートを変更して名護市の辺野古、豊原、安部3地区の集落や南側の宜野座村上空を回避する新たな微修正案をまとめたことが6日、分かった。

何とか、地元の不満を押さえるために、苦肉の策を考えたようだが、こんな子供じみた修正は本来の住民の安全を保障するものとなるだろうか?

飛行ルートの角度を少しくらい変えたところで、普天間に基地が建設され住民の暮らしを直ぐそばで脅かすものとして今後存続し続ける事に何の変更も無い。



まやかしの修正では基地問題は解決する事が無い事を知るべきだと思う。



沖縄の人々の願いは、沖縄から、全ての米軍基地の撤去を求めている。