君が代伴奏命令は誰のためか?

君が代の伴奏命令を拒否した教員が処分不当撤回のための裁判続けている。

しかし、2月27日の最高裁で彦倉の訴えを棄却し、東京都教育委員会の指示で学校長が下した職務命令を容認し、憲法が保障する「思想・良心の自由」を侵害するものではないとの判断を下した。この判断に伴い、伴奏を拒否した被告等への処分も当然認められる処分であると容認する立場をとっている。



こうした見解が、今後の裁判所の考え方にどう浸透してゆくのか?君が代斉唱などの行為を強制するものに繋がるのかどうか?大いに懸念される判決です。

今回の、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は「伴奏を命じた校長の職務命令は、思想・良心の自由を保障する憲法19条に反しない」との初判断を示しているが、公務員としての職務が、君が代を演奏するという特殊な行為にまで指定できるのかどうかが問題です。



君が代は、過去の戦争時より、常に日本の国を代表する国家として演奏されてきたが、その音楽にまつわる血なまぐさい戦争の歴史は拭う事は出来ない。

アジアの人々に多大の犠牲を及ぼしただけではなく、日本国民の膨大な数の犠牲者を無残な苦しみに追い詰めた象徴の歌曲であることは否定し得ないはずです。



今、君が代を懐かしいものととらえる人がいても、その人の心の有り方には介入できない。しかし、それを強制したり、子供たちに歌わす行為に関しては、容認することは出来ない。

音楽には好き嫌いがあり、あの君が代短調的なメロディーを好む人がいても良いだろう。しかし、それを学校で国家として歌わせたり、強制的に規律させて斉唱させることが教師の職務とされる方向性には、反対しなければならない。



戦後の歴史的に見ると、文部省の学習指導要綱が、1989年に改定され、今までの「望ましいあり方」が、「指導する内容」としての方向性に変えられたことが挙げられる。この文部省の通達が、やがては1999年の日の丸を国旗とし・君が代を国歌とする国歌国旗法へと繋がることとなった。

これを受けて、文部省が通達を発して教育委員会への指導徹底へと道筋が作られ、その年には大量の処分も出されている。

ここから、裁判闘争に繋がることになったが、昨年9月の東京地裁判決では、2003年の10・23通達が、「国歌斉唱を公務員に義務付けることは違憲である」との判断が下され、集団訴訟側が勝訴した判決となっていた。この時点では、文部省・東京都教育委員会側の遣り方は正しくないとの判断がなされていた。



ところが、その判決後も石原知事を始めとして、裁判所の判断を省みず、処分した教諭たちへの処遇についても、従来どおりの方針を採り続けていた。

そして、今回、最高裁は、(裁判官意見では4対1)東京地裁の判決を覆して国側の考え方を認める立場を正しいと判定した。



最高裁は、国旗・国歌法の定めるところに従って今後も公立学校での国旗掲揚と国歌斉唱を子供たちに押し付けてゆこうとする立場を容認しているわけです。



日本の国旗が日の丸でなければならないと誰が考えているのか?

過去の血なまぐさい象徴としてのシンボルを、今後の日本で掲げたくない、と思う人がいてても良いと思う。逆に、日の丸を掲げたい、と信じる人が居れば、どうぞご自由に。

要するに、強制するものではないわけです。

ただ、それを日本の国旗とするのかどうかでは、十分論議を尽くして決めていただきたい。ただし、一度決めたからといって、それを強制する必要は無いのです。



国歌についても同様です。君が代を好む人、好まない人、それぞれ両方があってよろしい、しかし、それを強制する遣り方はおかしい、またするべきではないと思う。嫌なのは、勝手の軍国主義日本が、日の丸を国民に強制し、日の丸に対しては直立不動の姿勢をしなければ「非国民」とされた。こうした強制が生々しく残る日の丸は、掲げたくないという気持ち・・・それの何処がおかしいのでしょうか?

むしろ、こうした気持ちを持つ人の方が人間として感受性が豊かであると思います。同様のことが君が代についても言えます。

大相撲の千秋楽に、いつも流れる君が代・・・あれには正直、何時もついてゆけません。

それぞれの思いがあって良いんです。



ただ、礼儀としては、それぞれの人達が重んじる国旗や国歌なりに対して、それを冒涜したり、けなしたりする行為は失礼に当たる。・・・そうした意味で、仮に現在の日本の国旗・国歌が日の丸・君が代であるなら、公式の場面でそれを使うことは良いだろう。・・・というか、勝手にやってという感じです。

ただ、それに対して、一緒に詠えとか、規律しなさいとか・・・そんな振る舞いはそれぞれの考え方でさせて頂いて良いのではないか?と思うのです。

特に、君が代斉唱については、私個人としては、したくありません。

歌詞の文句も、好きではありません。

第一、唄自体が暗すぎるし、国歌にするなら、もっと美しく、リズミカルな歌にしたほうが良いと思います。



日の丸についても、どうしても戦争のイメージが重なってしまうので、いっそ、新しく平和日本を象徴するようなイメージの旗を作ったほうが良いと思います。

例えば、桜の花をちりばめて、森林の緑が背景となる旗なんかが良い。・・・一度イメージ作品を作ってみたいものです。



とにかく、白地に真っ赤な円が書かれている現在の日の丸は、味気ない旗に思えます。もっとデザインを斬新なものに変えることに賛成です。



君が代裁判に続いて、全国13件の裁判が争われており、今後も裁判所の判定はいろいろ出ることでしょう。

大切なことは、国や教育委員会が、変な押し付けがましい指導方針を掲げないことを要望します。子供たちへの関わり方は、こんなところで厳しく指導するものではない。本当に大事にさせたいことは、人の心を重んじ、弱い立場の人を支えてゆく思いやりの気持ちを育ませる事です。

右翼の人達が喜ぶような法律ばかりが目立つ昨今ですが、そんな強制を子供たちに持ち込んではなりません。敬うべきは国旗や国歌への忠誠ではなく、自分の家族と地域の人達と仲良く暮らし、助け合い・支えあって共に生きてゆく社会を作ることなんですから。



ただ、今回の裁判でも、きちんと多数の意見に反対して自分の意見を貫かれていた裁判官も居られることを覚えておきたいです。4人の多数意見に対して、藤田裁判官は以下のように今回意見を述べられていたのです。

君が代斉唱の強制自体に強く反対する信念を抱く者に、公的儀式での斉唱への協力を強制することが、当人の信念そのものへの直接的抑圧となることは明白だ」

この判断は正しい判断だと思います。

法律をたてに取り、通達で教育委員会から校長の職務命令が出ているのですが、そうした強制指示が憲法に照らして不当であることを正しく指摘している意見だと思います。



裁判官であろうと、ほんといろんな意見の人が居ます。

決定そのものは多数決という形で決められてしまうのですが、その決定事を何でも強制してしまう論理というものはどうなんでしょうか?

やたら、横1列に物事を統一させることがお好きな人達が多いようですが、個人の自由というものは犯すべきではないでしょう。