(原題『SHOOTING DOG』)ルワンダの涙を観て。

原題『SHOOTING DOG』を観てきました。まだ、あまり知られていない作品ですが、多くの人に観て得頂きたい作品です。1994年に起こったアフリカルワンダの虐殺をテーマにした映画ですので、人々が無残に殺されている場面も描かれています。・・・でもそれは、事実、ほんの12年前に地球上の裏側のアフリカにて実際に起こっていた事実なんです。



詳しい映画の情報を知りたい方は、下記のサイトを見てください。

http://www.r-namida.jp/index.html







この映画の中でイギリスから技術学校の教師として海外協力を志願した青年ジョーが描かれているんですが、大好きな女性とマリーに普段からルワンダのために命をはって支援をしたいと話していた。

ところが、学校の平和は長く続かず、フチ族による襲撃におびえるツチ族の数千人が学校の敷地に逃げ込む事態を迎えた。鉈や銃を携えて、飢えた狼のように学校周辺を包囲されてしまうことになる。今や、絶体絶命の砦の中で、何時フチ族の襲撃がされるのか?不安な何日かを送る。



そんな中、取材のために派遣されていた女性報道記者レイチェルが、ジョーに話す。「コソボ紛争を取材したときは、白人の女性が死んでいる姿を見て自分の母親を想像し涙が止まらなかった。・・・しかし、今回、アフリカという土地に来て、こんなにも多くの黒人たちが虐殺されている様を見て、なぜか涙が出ない自分を知った。・・・何故、涙することが出来ないのか?それは分からないが、人間と言うものは、肌の色や宗教・人種などがちがえばこうも冷静になれるものなのか・・・

このように話していたのが印象深い。

人間の死というものに対して、それも虐殺と言うことに対して私たちがあまりにも無感覚になってはいないのか?



ジョーは、それを聞きながら震えていた。

あまりにも衝撃的な人間の虐殺を目の当たりにして、どうすることも出来ずに恐怖を抱いている若者がそこに居たのです。

ジョーと同じように、映画を観ている私たちも、ただ呆然と、繰り広げられる虐殺の場面を自分の眼で観る事しかできない。



・・・しかし、こうした事実をまだ知らない人たちが世界に沢山居る。

わずか100日足らずで、80万人以上の人たちが虐殺されていったことが、1994年に起こっているのです。



上述した話に戻せば、取り囲まれた学校から、結局ベルギー軍とジョー達が脱出し、残されたツチ族2500人あまりが、取り囲んでいたフツ族の暴徒に虐殺されたと言うことです。・・・之は、文字通り国連軍が2500人の人達を見捨てて逃げ去ったと言う事実があるのです。こんなことが許されて良いのでしょうか?



何故、当時の国連軍は、最後まで避難していた人々を守ることが出来なかったのか?この問題は、その後大きな国連のテーマとして突きつけられた事件でした。



単に、部族間の争いを監視し、間に入って見ているだけなら何の意味もない。

フツ族の暴行が明らかならば、暴徒を厳しく取り締まることが必要なはずです。

しかし、当時の国連軍は、何もせず、ただ監視だけを任務としていたから、人々を助けるためのどんな積極的な役割も果たさなかったのです。

勿論、当時のルワンダ国内が、まったくの無政府状態と化しており、部族間の抗争が家族や親族をも引き裂くような事態に発展していたということです。



国連軍が銃を撃とうとしたのは、唯一犬に向かってだけです。殺されたツチ族の死体を犬が食い散らかそうとしているのを観て、疫病が蔓延するかもしれないと心配して撃ち殺すことを提案したのです。



そこで、学校長のクリストファー神父は、「SHOOTING DOG?」と司令官に問いただします。・・・犬はあなた方に発砲したんですか?国連軍の方針は、発砲して脅威を及ぼすものに対して、武器の使用を認めているんでしょう?と。

・・・結局、司令官は、犬の銃撃を実行できなくなる。



しかし、その後、結局は部隊はルワンダ人を学校に残したまま立ち去ることになる。危険な状況になったので、国連軍を撤退させようと言うことです。

その後国連軍が行ったことは、トラックの前にしがみついて、部隊が脱出するのを阻止しようとする人達を空砲をぶっ放して脅しながら・・・自分たちだけ安全なところへと逃走したのです。



ある父親が司令官に申し出ていた。

あなた方がここから立ち去ることは止めようがない。

私たち大人は良いです。しかし、子供たちには何の罪もない。

出来るだけ苦しまずに死ねるために、子供たちを銃で殺してくれ。銃なら鉈で切り殺されるより、おそらく一瞬で死ねるはずだ。お願いだから、俺たちの子供を銃で撃ってから脱出してくれ!



勿論、この願いは司令官が受け入れるはずもなく、国連部隊は出て行ってしまう。

残された人々のうち、子供たち数人をトラックの荷台に詰め込み、シートを被せ、神父は決死の脱出を試みる。・・・うまく、フツ族の殺人部隊をすり抜けて逃れられたら・・・と言う願いを乗せて。



しかし、このトラックは、道路の途中でフツ族民兵たちにより静止される。

子供達をかばおうと神父は交渉するが、結局フツ族の青年に銃殺されてしまう。そして、かろうじて子供たちは荷台から逃げ出すことが出来た。・・・



この映画のことを話そうとすれば、多くのテーマがわたし達に突きつけられていることが判る。



今ここで述べたいことは、いかに国連軍が、2500人の住民たちをみすみす虐殺者たちの手に放置したのか?その責任を追求することにあるのだろうか?

確かに、あの場に居るものが何が出来たのか?判らない。



命を守れないのなら、わざわざ監視団として遠いルワンダの地に軍隊が派遣される意味がどこにあるのでしょうか?

今まさに行われている暴力に対して、そんなにも無力な国連軍なら何のための役割なのか?人々が殺されるのをただ見て監視するのなら、それは、人道的な救済も出来ない「でくの坊の軍隊」です。



いじめ問題で悩む日本の親たち、子供たちがぜひこの映画を鑑賞し、人間の本来的な平和とは何か?愛とは何か?を学んで欲しいと思う。