沖縄の歴史

no-mu2008-03-14

昨日沖縄への旅行から帰ってきたのですが、当初想像していた沖縄の基地の圧迫感は全くの肩透かしでした。
那覇市の有名繁華街を歩いていても、米兵の姿は全く消えていました。・・・これは、先日の女学生への暴行事件で米兵への外出禁止令が出ているためと想像できますが、本土の大阪などの方がまだ外人の姿が多いと思われました。ですから、私たちの様な旅行者にとっては、沖縄の基地の町としての姿が全く感じられないような様相を示していたのです。
一般道を走っていても、米軍基地と思われる周辺とは道路が隔離されているから、一体、米軍基地はどこに行ったのか?と思われるような光景でした。

実際には、厳然として米軍基地は沖縄にて機能しアジアにおける重要な米軍の中枢基地として存在し続けています。いざ、東アジアにおいて軍事的な緊張が高まれば、この沖縄米軍は重要な役割を果たすこととなっており、そうなれば沖縄の住民は決して安堵しているわけにはいかなくなる。
それだけの軍事的な役割を担って現在の沖縄米軍基地はその存在を継続している。
しかし、見えない分、その実態が隠されているのも事実です。たかが数日間沖縄に滞在しても、米軍の実態は全く見えない。もちろん基地内の見学などは出来ないから、米軍基地の実態は「秘密」のベールに包まれている。
今日、情報の公開が進んでいるが、こと米軍の軍事的な実態については、沖縄住民・日本人には隠されている。国の安全の為の軍事的な機密と言われれば、聞こえは良いが、実態は仮想敵国への対策だけではなく米軍に反発する日本人に対する対策も含められていることは言うまでもないだろう。

 64年前、沖縄では住民を含め12万人の一般人が殺害された戦いが繰り広げられた。実に沖縄に住む人たちの4人に一人がこの戦争で亡くなっているという。死亡時期をみれば、45年の3月から8月までの米軍上陸作戦後に、集中していることを考えると、日本軍が米軍に追われて敗走する中で住民を縦に撮った戦いが繰り広げられ多くの犠牲が生み出されたという。
こうした悲惨な戦いと悲劇は、もちろん日本軍の戦い方によるところが大きいが、米軍の徹底した皆殺し作戦が繰り広げられたこととあい合わさって、考えられないような悲惨な戦争が繰り広げられたことを確認することが出来る。

沖縄の温かい風土と、空や花や樹を見るにつけ、こうした戦争の歴史が人々の記憶から忘れ去れようとしているのではないか?と心配になる。
戦争の生き証人たちはだんだん年を重ね、彼らの体験談を聞く機会がだんだん少なくなってきた。こうした現実の中で私たちが記憶しておきたいことは、戦争の爪痕の一つ一つの事実を記録し、後世に伝えていくことだと思う。
ひまわりの塔を見学し、記念館を探索し、こうした戦争の証言が今後末長く語り伝えられることを祈りました。