昨日は、忌まわしきあの“東京大空襲”の夜でした。

no-mu2008-03-11

64年目を迎えた3月10日の夜、私は、テレビでの記念報道番組を見てあらためて当時の衝撃的な一夜の状況を頭の中に沁み込ませました。
計画的な大量殺戮の計画通りに実行された10日の爆撃は、人間の命を奪うことなど全く問題にしない冷酷な計算通りに実行された。事前の米国の実験場で試された攻撃効果を参考にして、文字どおり東京を火の海にする爆撃計画が実行にうつされた。
低空飛行する爆撃機は、人々の退路を断ち、街諸共に全てを焼き尽くす計画として行われたが、その冷酷さはナチスユダヤ人虐殺と同列であり、旧日本軍のアジアにおける侵略とも行動を同じくしていると言えよう。10万人以上に及ぶ老若男女が、理屈なしに殺戮されていく場面を、当時生き延びた人たちが今証言している。次第に数少なくなっている傷ついて生き延びた人々の言葉は重い。どんな理由があろうと、このような大量殺りく行為を誰が正当化出来ようか?

あれから64年目の今日、当時の大殺戮の実態を遠い過去の出来事として記憶するだけではなく、人間の中に潜む危険な悪魔の要素として告発することが求められている。
東京大空襲を指揮し実行したアメリカの指揮官が居る。彼の指揮の中に罪があると判断するのは容易いが、彼をそこまで好き放題にやらせた米国の当時の政治というものがある。米国は、こうした日本での空襲計画と原爆を含む攻撃を「正義の戦い」「正当防衛の戦争」として今も正当化する人々が多いという。いちばん残酷に、冷徹に当時の日本を叩いた軍人が英雄となり対日戦で功績を立てた者が勲章をもらい、政治家にもなる・・・こうした日米戦の結末は、今までのどの戦争においても言えることだろうが、もはや勝った負けたの事実以外に何も後の世に正当化できる根拠がない。勝った国が正しく、その考え方と文化が正当しされ、敗れた国や民族の全てが破壊され異端視される。
人類は、こうした戦いの歴史を繰り返している。今日においても、軍事大国として米国は世界のあらゆる政にたいして干渉し、ときには武力で米国の意思を表現し実行する。

少なくとも日本は、こうした戦いの歴史を繰り返してはならないと思う。いつ果てるとも、いつ終息することもない愚かな争いを終結し、人類が手を携えて生きていく術を身に付ける時だと思う。

これから、8月15日の記念日に至るまで、戦争の歴史を振り返る多くの歴史を振り返る月日が刻まれていく。・・・その中で、最も悲惨な歴史を刻んだのが沖縄だと思います。
今私たちに託されていることは、こうした歴史をしっかり自分の中に反芻して「平和の知恵」として肉体化することだと思うのです。