『実録・連合赤軍 浅間山荘への道程』を見て下さい

no-mu2008-03-30

若松孝二監督の力作映画を見てきました。3時間以上の作品ですが、見る者をくぎ付けにする映画でした。後半は、生々しい「総括」の場面が映し出されるので、見る者もまるでその場に居合わせているような迫力で迫ってきます。山岳地帯に「根拠地」を作り、軍事訓練を積みかさねる中で次第に内部の同志に対する粛清へと辿って行く運動の変遷を出来るだけ事実であろう物語をたどるように描かれているところが評価出来る。

前述したように、所謂リンチ殺人がどんどん積み重ねられる背景には、指導者の指揮統制が、それに従わない者への「総括」として日常化することとなる。森や永田ら指導部が持つ危機感が権力との対峙の中で次第に組織内部の弱い部分への暴力行為として表面化していった。
思い通りに従わない同志たちを、ためらいもなく革命の戦いの為に殺害していった事件は、単に行き過ぎた狂信思想によって生み出されたというよりも、参加している個人が勇気を持って自分の意見を表明し、同意できない行為に対して反対し論争し戦う・・・そうした組織内部での民主主義が窒息していたことを示していると言える。
浅間山荘の攻防の場面で、未成年の少年が叫んだ言葉がとても印象的でした。・・・「俺達は、勇気がなかったという事じゃないのか?・・・ここまでやってきたことは、皆勇気がなかったからなんだ。そうだろ!」他のメンバーにそう詰め寄る彼の言葉は、連合赤軍のやってきた戦いが何であったのかを示しているように思えてならない。

確かに彼らは、真剣に革命を夢見た青年達であり、自分が日本の革命の為に役割を果たす必要があることを自覚して組織に賛同してきた。
しかし、次第に闘争戦術は過激化し、警察とのし烈な戦いを開始する中で、自分たちの組織の中に存在する弱い部分に対して牙を向けていくようになる。いわゆる内ゲバとまではいかないから、組織の中にある指導部に従わない部分に対する暴力が激化した。
やがては、一人二人と粛清が進む中でそうした暴力行為が連鎖するようになる。普通なら、そうした内部に対する暴力行為は、人権に対する重大な暴力行為として戒められる筈であろう。しかし、悲しいかな非日常的な「革命組織」にあっては、組織構成員に対する人道的な権利は認められなかった。粛清された者たちは、いずれも連合赤軍で革命運動を進めようと結集した者たちであった。しかし、彼らは森や永田のように指導的な立場に立つ立場ではなかったがために、その至らない誤謬やためらいを責められ、無理矢理強制される革命路線に従うよう強制され、それをためらうがために粛清されていく。

浅間山荘において少年が叫んだ言葉に、連合赤軍の革命組織としての脆弱さが映し出される。
そんな筈じゃなかったにもかかわらず、彼らは十人以上の同志を抹殺し、そうした内部暴力を「革命の為の総括」として正当化しようとした。しかし、殆どのものは「そんな筈じゃないと感じていた」しかし、それを面と向かって指導部の者にぶつけられる勇気がなかった。その弱さの中に彼らの未熟さがあり悲劇があった。
どんな革命組織も、その理論や目的は何であれ、人間としての命や人権を破壊する行為を正当化するに至っては、もはや主客転倒であろう。
ヤクザや多くの狂信的な宗教組織がそうであるように、彼らもまた指導者の理論を絶対化させ、それに逆らう者たちを悪と断罪することに疑いをはさまなかった。・・・彼らは、そうした倫理的な価値観から同志を粛清したのではないと言うかもしれないが、どんな科学的な理論であるとしても民主的な議論と個人の命を奪い去るからにはもはや革命運動からはかけ離れた運動に変身しているのです。

この映画を見ることにより、今まで連合赤軍の内部からしか見ることができなかった運動の実録を克明に描いているように思います。
確かに、完璧に事実どうりであるのかどうか?どの部分が事実でどの部分がフィクションであるのかは誰にも分かりません。
しかし、少なくとも若松監督は今まで誰も明らかにしなかった連合赤軍の運動の軌跡を映画として描こうとした。そして、それはかなりな部分において成功しているように思う。
まだまだスポットライトが当てられていない闇はあると思う。しかし、この映画を、多くの世代が異なった人達が観ることにより、これまで知らなかった運動の実録に触れることができるのではないか?そのことが、歴史上、まだそんなに経っていない戦後日本の左翼運動における異端児たちを再認識できるように思うのです。彼らを異端と呼ぶのかどうかについては、いろいろ議論があろうが、彼らもまた自らの肉体をかけて日本での革命運動を夢見た若者たちであったことは認められると思う。
彼らが払った事件の代償はあまりにもむごい結果をもたらし、運動の過程で殺害されていった若者たちは言葉にならない無念さを抱いて死んでいったことであろう。
連合赤軍の軌跡をしっかり見つめて、そこから学んでいくものはあまりにも悲しく深く大きい。しかし、私は、目をそらすことは出来ません。若松監督が描くこの作品は、現在の日本の一人一人に問うているように思えるのです。「あなたは、どうですか?この実録を通じて何を感じますか?」と。