方式問題からの脱却を・・・年金問題を考える。

no-mu2008-05-24



24日付のY新聞朝刊には同新聞記者による基礎年金方式と、税方式の比較検討記事が載っていた。
興味深かったので読ませてもらったが、その要約をまとめてみると以下の通りです。
社会保障国民会議が19日発表した試算では、
?厚生年金に加入する会社員世帯は負担増になる
?年金を受給する高齢者も負担増となる
?企業の負担は大幅に減る
これをあらわすグラフは以下のようになるという。

会社員の場合には、どの所得層をみても一律負担増になる。これは企業が現状で半分負担している厚生年金額が税方式ではすべて税の中に落とされることによる。
税方式賛成者が言う「消費税方式により国民全体で支える形態は変わらない。保険料軽減により国民負担による不満は解消される」という説明は、肝心な問題を抜きにした論法であり、問題は企業だけが負担軽減の恩恵を受けることについてどう考えるのか?を検証する必要がある。

税方式転換がなされた場合、現行の年金額が設定されることによる企業負担軽減額は年間で3から4兆円と言われている。このお金が果たして働く者への還元へ向けられるのかどうか?それとも企業収益の改善の為に持って行かれるのか?
ここが一番論議されなければならない問題であることは確かです。もし、浮いたお金が労働者への待遇改善の為に使われるというのなら話は別です。そうした安易な空想が、往々にして大きな幻滅に捻じ曲げられてしまうことは多々政治の政界で起こる。

こうして考えてみると、基礎年金を全額税方式に変えるかどうかという問題よりももっと根本的な問題は、集められたお金がどういう支払われ方をするのか?という問題です。現状の年金で果たしてお年寄りが安心して老後を暮らせるのか?単に生活費の問題だけではなく医療や介護の必要性に応じた社会としてのサポート体制が十分に末端まで機能するシステムとなるのかどうか?

資産があり、家族があり、支援者が豊富に見つかるものだけが満足に暮らせることが出来ても、社会的な弱者を救済する体制がなければその社会は豊かであるとは言い難い。
勿論生活保護や低収入の階層が必要以上に優遇される逆立ちした福祉制度は避けなければならないが、全ての人が持っている能力を十分に尊重され活かされる社会を作る必要がある。
戦後民主主義が浸透したことにより、日本では憲法で基本的な生存権は保証され、人々は最低限の生活を維持するための保障は国家より受けることが明記されている。こうした制度はもちろん残していかねばならないが、形だけの基本的人権、形骸化した生存権には人間としての人権が往々にして形骸化する。

年金制度を変更する問題は、日本の社会を考えるうえでの大きなテーマであることは間違いない。単なる小手先上の制度変更ではなく、社会自体の在り方私たち自身の暮らし方と支え合い方を考えて決めていくことが必要です。
安易な政治家だけによる議論に終始するのではなく、国民全体で建設的な議論を繰り広げ、今後の日本社会に相応しい制度を確立していきたいと考えます。

どんな新しい制度も人間が作り出す以上、時間が経ち社会が変化すればまた修正される時もあるでしょう。作り替えることを恐れる必要はないが、しっかりした未来予測と豊かな人間観がなければどんな制度もその大義名分が生かされることのない悪法と成り得る。
大いに論議され、大いにそれぞれの知恵を屈指して来るべき高齢化社会に通用する年金制度を確立していきたいものです。