セルフネグレクトを生み出す社会的要因について。

no-mu2008-05-28


虐待問題の中でも、一番厄介な問題は自己自身が加害者として登場するケースです。
自分自身が被害者であり、同時に加害者として存在するのは、言葉の上では簡単につながる言葉ですが、実際問題として出現する場合は当事者が訴えない限りなかなか支援の手が介入出来ないものです。支援を目指す者が接近してもなかなか受け入れてくれないことと、当事者が支援を拒否するからです。
セルフネグレクトという言葉は、最近新聞紙上でもよく書かれており、支援を専門とする人達の中でも解決すべき現実の課題としてしばしば研修テーマとなります。
増え続ける高齢者の中でもこのセルフネグレクトと思われる症状を持っている方がしばしば散見され、どうしたら彼らの閉じてしまった心を開くことが出来るのか?大きな問題となっています。いくら本人の為とあれこれ助言し、介護サービスなどの支援を受けるように勧めても、殆どの彼らは「もう、私のことはうっちゃって欲しい。好きなように生きていきますから」と関わりを拒否する。家の中はゴミだらけで不潔になり、身なりも不潔で周りの者に白い目で見られても、本人は自分の殻に籠ってそこから出ようとはしない。

セルフネグレクトの症状は、東京都高齢者虐待マニュアルによると以下の症状が出るという。
○昼間でも雨戸が閉まっている
○電気・ガス・水道が止められていたり、新聞・テレビの受信料、家賃などの支払いを滞納している
○配食サービス等の食事がとられていない
○薬や届けた物が放置されている
○物事や自分の周囲に関して、極度に無関心になる
○何を聞いても、「いいよ、いいよ」と言って遠慮し、諦めの態度が見られる。
○室内や住居の外にゴミが溢れていたり、異臭がしたり、虫が湧いている状態である。
他にもきっと特徴がみられるだろうが、要するに病的に自分の生活に対して無関心となり生活そのものが投げやりとなる。彼らの心に共通している意識は、「自分の命を自分が自由に扱って何が悪い、ほっといて欲しい」という気持ちです。
極端にまで人の関わりを拒否し、他者を信じるどころか支援すら拒否するようになる。
こうしたセルフネグレクトが行き着くところは、最終的には孤独死であるが、これは自殺と隣り合わせです。
自殺は、自分の命をある段階で強制的に奪うことであるが、孤独死の場合は自分で自分が招いた蟻地獄の中に入り込む行為であると言えよう。

こうした孤独死は、昨今高齢者の中で増えており無視できない問題となっているが、その対策をする場合には小手先だけの善意ではどうしようもない問題と言えるでしょう。

今や日本の社会は、こうした社会的な特徴としてのセルフネグレクトの病に侵されてしまう人々をどんどん再生産し、社会自身がそれを解決するすべを見つけられずにいるのが現実でもある。企業や地域が、もっとこうした問題に対して積極的に対応策を考えだし、有効な活動を進めていかない限り深刻な社会問題になることは間違いない。
この為には、単に道徳的な問題ではなく、地域での横の繋がりがもっと根付いて広がる必要性がある。
他者との関係を求めず、閉鎖的な暮らしを続けようとする対象者に対して、身近な声掛けと助言が必要です。・・・もちろんすぐには、心を開けることはないでしょう。しかし、粘り強く関わりを続ける人が居ればきっと気持ちがほぐれることが出来る筈です。彼らの自由に生きる権利は認めつつも、最低限必要とされる食事や清潔な生活等々の支援は必ず健全な生命活動を芽生えさせるはずです。

現在の介護保険制度ではこうしたセルフネグレクトに対する支援策としては不十分な支援でしかないのですが、それでも制度を活用する中から次の支援につなげることが出来る筈です。出来ればインフォーマルな支援がその地域で根付いて居れば良いのですが、まだまだ社会的な弱者や障害を持つ人々には不利な要素が沢山あります。
今後は、こうした課題を一つ一つ木目細やかに解決する実践が求められていると思います。

このセルフネグレクトに関しては、日本はまだまだ後進国家であると言えるでしょう。
自己責任という言葉が独り歩きして、当事者の責任に済ませてしまうことが多い中、この問題は社会が作り出した現代人の精神的な病であることを考えて欲しい。
自分はそうならない、と思っていた人が、ひとたび苦境に陥ると社会との関連をどんどん閉ざそうとする傾向が生み出されてしまう。こうした精神状態に陥りやすい人をどうしたらそれ以上閉じこもらないようにするのか?地域でのつながりをどう築いていけば良いのか?・・・問われている問題は今、私たちの前に出されている。
しっかり目を開けて、この問題に対峙していきましょう。