終身刑制度の是非について

国会では、秋の法案提出へ向けて与野党130人以上の議員連盟(量系制度を考える超党派の会)が発足したというニュースが届いている。
日本では、今まで死刑につぐ量刑は無期懲役であり、この場合10年間が経過して審査され、適切と判断が下された場合仮釈放をされる可能性が残されている。
ところが、昨今の凶悪事件増加と無期懲役囚の増加・来年の裁判員制への移行をにらんで、死刑につぐ量刑として終身刑を採用すべきだという意見をあげる人たちが増えてきた。
この終身刑は、諸外国では既に採用している国が多く、米国などでは50州中の48州が仮釈放なしの終身刑を制定している。(因みに死刑制度は37州でまだ存続しているが)またヨーロッパ諸国では英・仏・独などそれぞれ微妙に制度が異なり終身刑への考え方は一定ではない。(ドイツでは15年で仮釈放が可能となり終身刑違憲と判断されている)

日本では、無期懲役囚が年々増加傾向にあり本年度で1670人を数えるという。これは犯罪が凶悪化して無期を適用される裁判ケースが増加し、死刑とまではいかなくてもそれにつぐ量刑が他にないことに要因していると言われている。日本の場合、10年以上の囚人について彼らの受刑態度を考慮し地方更生保護委員会が悔悟の情を検討しその可否を決定することとなる。
年々仮釈放される無期懲役囚が減少し、昨年は3人が仮釈放されただけだという。
こうなると刑務所がどんどん膨れ上がり、とうとう民間委託の刑務所までが作られることとなった。

 詳述した議員連盟が提出する終身刑提案が、果たして法案成立に至るのかどうか分からないが問題はその中身です。
終身刑は、仮釈放を考慮しない死に至るまでの拘束であり人道上問題とされている。しかし、死刑という受刑者の命を奪う刑と比較した場合、人命尊重の観点からは同意を得られやすい側面がある。死刑を宣告された場合、刑の実施までの期間があるとはいえ、一度死刑が執行されればもしも冤罪があれば取り返しがつかないことになる。また、いくら凶悪犯人と断定したとしても、犯罪者もまた人間としての人権を有するものであることからいたずらに命を奪うことは出来ない筈だ。
死刑に関しては、別の項で意見を述べたいが、終身刑については受刑者の人権を考慮して違法とするドイツの考え方は今日の日本の社会の考え方とは大きな開きがあると思える。ドイツでは死刑も終身刑も違法であり、果たしてそれで刑法の量刑において秩序が保たれるのかどうか異論があるかもしれない。しかし、だからといってドイツでは凶悪犯などが増えたり社会における秩序が揺るがせられている事態が起きている訳ではない。

だから問題は、犯罪に対する量刑の考え方にあるとおもう。
日本の矯正においては、受刑者の教育と更生の為に長く無期懲役という刑を死刑につぐ量刑として位置づけ10年以上服役する受刑者の社会復帰をいくらかでも促す役割を果たしてきた。
しかし近年、上述したように釈放される無期懲役囚が減り、どんどん無期懲役囚が増える中で一つの動きがみられる。・・・それは死刑囚の刑執行加速化が一つある。元法務大臣は、「職務をどんどん遂行する」と明言して年間の死刑実施率を高めることに貢献しているが、彼の評価を国民はどう採点するのだろう?
死刑制度で刑を執行される時期が早まり文字通り刑の確定が死刑の執行と同一視される時代を、果たして効率的な社会として評価して良いのだろうか?

こうして、死刑制度に対する反対意見の高まりが諸外国より大きくなるにつれ、それに代わる終身刑制度がクローズアップされてきているが、現段階ではその意義と評価においてはあまりにも様々な意見が入り混じっている。
命を奪う死刑制度の廃止により、果たして終身刑制度が人権を無視しないものなのかどうか?そもそも、凶悪犯罪者に対して人権を保障する必要があるのか?等々意見は百家争鳴に及んでいる。言えることは、犯罪で犠牲となった人々の人権と苦しみを、加害者である受刑者たちがどこまで自らの行為を振り返り償うことが出来るのか?という問題を避けて通ることは出来ないこと。この為には、生涯刑務所の中に居ようと外に居ようと、加害者は被害者に対する償いをしていかなければならないということです。もし、加害者が恣意的に償いをすることが出来ないならば、法として強制的に償いをさせることも止むをえまい。ただその場合も、加害者の命もまた守られなければならないことではないか?


いつの日か、誰も人の命を奪うことのない社会が地球上に出現することを、全ての人が願うならば、そしてその願いが大きなうねりとして高まっていけば、夢ではなく作り上げることが出来ると思います。私はそれを、夢とは考えません。