10年連続3万人を超える自殺者数を考える。

no-mu2008-06-21


1・日本における自殺者推移では、H10年から10年連続で総計3万人を超える数となっている。つまり10年で、実に30数万人の人々が自ら死を選んでいるという事実が存在する。
30数万人と云えば、中堅都市の人口を凌駕する数であり、日本だけでそれだけの人々が自分から命を絶っているという事実の深刻さを垣間見ることが出来る。
こうした「自殺大国ニッポン」について、今回少し考えてみた。

身近にそうした自殺者を持つ人々は、何故彼らが死ななければならなかったのかを少なからず苛まれることとなる。特に家族や夫婦の場合、残された者の悲しみと苦悩は計り知れない。亡くなってしまった人々は、もはや苦しむことはなかろうが、残された者は、身近な者の死という重荷を心に深く取り込んでしまうこととなり、その苦悩はなかなか無くなるものではなかろう。
其の意味で、残された人々の悲しみを思うならば、死を決断することは自分の身近な者への不幸のばらまき行為であろう。

この10年、3万人を下ることなく毎年同じ規模の自殺者を生み出している社会、それが現代の日本社会です。
この社会を、今一度問い直して何がこれだけの自殺者を生み出しているのかを考えることは、生きている者にとって大切な検証の作業であり、それが亡くなった人々に対する前向きの供養にもなり得ると思う。
命途中にして、自ら生命を断つという行為は、社会にとっても大きな損失であると同時に人々の抱えているトラブルを本当の意味で解決することの必要性が求められているように思う。

もし自分の努力により、生きていく上で障害となる様々な事象に対して、改善のための行動が積み重ねていけるのなら、おそらくは死ななくてもよい方法を見つけることが出来た筈です。
また社会自身の中に、苦しんでいる人々の原因を共に担って苦悩を軽減する方策を見つけ出すための支え合いの機能があるのなら、おそらく自殺者はより少なく出来るだろう。

残念ながら、現在の社会は、そうした解決の為の援助方法が十分に浸透しておらず、悩む人たちの力と成り得る運動と組織体制がまだ不十分だと言わねばならない。


こうしたことを考える時、日本での一層の支援体制確立が急がれる必要がある。

2・次に年齢別の構成比を見てみると、年齢が高くなればなるほど、自殺率が高くなっており、事実60歳以上の高齢者の自殺が1万人を超している。次に50代、40代と世代が下がるに従って、自殺者の比率は下がる。こうして考えると、やはりまず取り組む必要があることは40代以上の成人に対する十分な相談窓口等の設置と充実です。

人が悩む要因としては、健康問題・家族の問題に加えて、経済問題が浮き彫りになってきている。サラ金などの借金が膨れ上がり、普通の市民生活の継続が困難になったケースが目立ってきており、家族等に相談できずに一人で問題を抱えてしまう場合が良くある相談と成ります。こうした経済的なトラブルの場合でも、どうしたら問題を解決出来るのかを客観的な視点でアドバイスをして本人を内面から支え、「地道にどれだけの返済を続けていけば良いのか?どこから資金を借りることが出来るのか?」といった具体的な質問に明快な答えを示す必要があると思う。
人は、他に方法が無く、追いつめられて死を選ぶことになるが、もし何らかの方法で死ななくても良いということが分かれば、きっと自殺者は減少する筈です。

失敗により思いもよらぬトラブルに巻き込まれたり、巨額な借金を請求されることがあっても、それを独りの頭だけで解決するのは大変です。
そうではなくて、専門的な見方によりより良い解決方法を助言し、自らの納得の元に最良の方法での解決方法が明らかになれば、多くの人々が自殺の誘惑から逃れることが出来る筈です。追い詰められて、他の方法が見当たらない時、人は自殺を考える。しかし、社会自体が救済の窓口をしっかり掲げることが出来るならば、現在の自殺者の流れを最小限度に食い止めることは可能だと考えます。言いかえれば、社会的脱落に対する救済措置の明確化が今求められている。

ようやく政府も、自殺者の為の相談窓口や心の支援策をもっと充実させていく必要性を掲げるようになってはいますが、まだまだ不十分な政策です。

失敗した者、生存競争に負けたもの、事業に失敗したもの、大きな差別により光のあたる政策を受けられないもの・・・こうした社会的な格差の中で転げ落ちそうになっている人を、「大丈夫ですよ」としっかりサポートして受け入れ、共に自分の力で可能な自立した生活を続けることが出来る様にする…こうした地道な支援活動が今ほど求められていることはなかろう。

1日に、約93人の人が自ら死を選んでいる社会、それが現代日本です。
この事実に対して、あたかもそれが当たり前のように今までの自分の生活を暮らしていくのか?
他人事ではなく自分あるいは自分の近くで起こっている切実な社会問題なのだと気付いて支援策を確立し共に考えていくのか?
この違いは、決して小さなものではないと思う。自分の周りに居る人に対して、もっとお互いが声掛けあい、お互いを支え合う関係が築いていくことが出来るのなら、例え現状は深刻なものであろうと改善の為の方向性は見つけることが出来る筈です。
そうです。私たち一人一人が、たとえ小さな努力でも積み上げることが、事態の改善を導くと信じます。
その為にも、人を蹴落とすことが当たり前のように教育の中で行われている競争社会の法則を、もう一度みんなで問い直していくことが必要ではないでしょうか?