坂田雅子さんが語りかけるこの映画、ベトナム戦争の傷跡は今も続いている・・・

no-mu2008-07-08


http://cine.co.jp/hana-doko/director.html
本日、有給を取得してこの映画を見てきました。

映画の詳細は、ホームページを参照すれば良いと思いますが、坂田さんの沈着冷静な語り口が作品全体を品のあるドキュメントに仕立て上げていて、嫌みのない味わいをかもちだしているように思いました。最愛の人生の友である夫を54歳の若さで失い、その病気の原因がベトナムでのダイオキシンにある?という疑いが彼女を突き動かした。
「何故、夫は癌で早死にし、ベトナムでの枯葉剤との因果関係がどう影響したのか?」
この疑問に対する答えは、誰も持ち合わしていない以上、彼女自身が解明する他方法が無かった。
・・・彼女は一大決心をして、この問題を突き止めるべく当時の夫の知人たちと打ち合わせてベトナムでのダイオキシンの影響を自分の足で取材した。この結果、戦後30年がたった今日でも、アメリカがばら撒いたダイオキシンの汚染はベトナム各地に悪影響を及ぼし、何百万人の人々が障害や奇形の病に苦しんでいる実態が存在していることを目にする。
遠く米国に住んでいる時は気付こうともしなかったという。・・・というよりも彼女自身が気付くことが出来なかった戦争の傷跡が初めて見えてきたというべきか?
・・・映し出される奇形の障害児たちの映像は、今日においても生まれてくる子供たちに深刻な悪影響を及ぼし苦しめている実態が現実のベトナムにあることを私たちにも問いかけている。
ベトナムでは、枯葉剤と称したダイオキシン入りの「エージェントオレンジ」が当時の米国の国益のため飛行機から大量に散布され、植物と地域の住民に大きな被害を無差別拡散させた。そこを住居とし、そこを生活基盤とする人達の影響は甚大なものとなったが散布した加害者の米兵の中にも多くの後遺症が出る事態となった。こうした化学兵器の危険性は、戦争時の被害に止まることなく、子供や孫の代にも被害を再生産している実態を改めて知ることが出来る。

03年にベトナム枯葉剤被害者から告発された訴訟において、米国の裁判所は「その因果関係が特定されておらず、病気や疾患が枯葉剤からどういった原因を受けて発病したのか?証明することは出来ない」として、被害者からの訴えを退ける判決を下している。
アメリカ司法は、ベトナム戦争後30年経っても、まだ枯葉剤散布による人間を含む環境への汚染の罪について、それを認めようとしていないことは驚きです。
アメリカの親たちは、子供達には何らかの過ちを犯せばそれを断罪し過ちを指摘し、罰を与えて再び罪を犯さないようしつけるという。しかし、大人自身が国家的に行った枯葉剤の大量散布による悪影響を、どんなに被害の実態が示されてもその責任を認めようとはしない。・・・こうした矛盾は、米国の外からの方がその誤りに対して早く気づくことが出来るのかもしれない。
今なおベトナムで苦しむ奇形や障害の原因が、枯葉剤散布により発生したことを認めようとしていない、この事実に怒りを覚えない人達は、もし自分やその家族が枯葉剤の散布を被りその後遺症に悩むという想像力が働かない人間なのでしょうか?

自国を防衛するためには原爆も、枯葉剤も、はたまた危険な軍事兵器も認める・・・こうした発想が、どれほど危険であり、今までの世界の戦争を支える思想的なドグマであったのか?を何時になれば気づくことが出来るのか?

人々の痛み、悲しみを同じ人間の痛みとして感じることが出来ない人間には、どんな恐ろしい地球上の争いさえも、意味ある戦いに見えることでしょう。しかし、それらの抗争は、確実に地球規模での生命の終末を招くものであることは知るべきでしょう。

この映画は、決して過激な革命論をぶつことなく、静かにベトナムの現実とそこに深く関わった夫婦の足跡を記録している。

かって、10代の青春時によく歌ったジョーンバエズの歌を背景に、ベトナムでの枯葉剤被害が今も継続していることをしっかり確認することが出来ました。闇雲に涙の元栓を開いて安売りする映画などが多いけれど、この映画はそうした安易な感情作用に依拠することなく、常に知的な考察をする坂田監督の姿勢が貫かれていると思いました。
多くの日本人がこの映画を見て、戦争がもたらした被害の深さと傷を自分の心に焼き付けて欲しいと思う。