認知症罹患者数が激増する予想にどう備えるか?

もうすっかり夏の空です。


先日の新聞に、30年後、認知症高齢者が3倍近く増加する予想が出されていることが発表されている。
これは、厚生労働省研究班が推計した数値として「2・3倍から3・1倍の範囲で高齢認知症の数が増えること」を予測した統計ですが、地域により数値の若干の違いが出ているのは、分析値と成る認知症罹患率にばらつきがあるためだという。
一番高い埼玉県では、3・1倍で29万9千人。次に千葉県が22万4千人(2・9倍)、神奈川県の31万人(2・9倍)と続く。
発生率上位の中では、低いと予想されるところは10位の奈良県で5万人、9位の兵庫県は19万8千人(2・3倍)、滋賀県の4万7千人(2・3倍)となっている。
他の都道府県はおそらくこの数値以下の発生率であろうが、どちらにしても全体としては445万人という数値を予想しているので現在のおよそ倍の数となると予想されている。05年の数値で205万人と云われているが、この数値には若年性の認知症患者が含まれていない。全人口に占める数値としては、おそらくこの数値を微妙に押し上げるものとなるでしょう。


大事なことは、こうした予想に備える社会のサポート体制の整備です。
介護保険障がい者に対する支援制度により、一定の支援が受けられることは評価出来るのですが、その人の生活を全体として支える為のきめ細かな支援としてはたして十分なものなのか?疑問に思われる現状が存在する。
治療や日常の介護について、家族や地域の支援制度が比較的整っている場合はある程度のサポート体制は期待できますが、家族や知人が無く制度上だけの公的支援を受けなければならない場合などでは不十分な支援体制が残されたままです。これについては早急な対策が取られる必要がありますが、財政上の制限もありどれだけの公的支援が整うのか不安が広がる。
誰しも、認知症にかかる積りはないわけで、予防を図るためにどういうことが必要なのか?まだまだ解明されていない問題が山積する。
脳血管性の疾患予防が進めば、ある程度の予防治療が図られることが指摘されていますが、食生活や社会環境に減員する要因に対して総合的な対策が取られる必要があることも指摘されています。
「介護予防」という狭い解釈で話に、社会における生命活動全体における差別や格差の是正なしにはこうした問題の根本的な改善はあり得ないと思います。

ただひたすらに、企業の利益を上げるために身をすり減らして働き続けることが今日の日本社会の矛盾を深化させている現実を反省し、社会の価値を問い直す生き方が問われているように思います。
医療制度と介護制度の挟間で、振り落とされる多くの事例を目にする時、企業的な価値観を超える考え方、生き方を積み上げる必要性を痛切に感じます。それを作るのは、私たち自身であることを考える時、自分が何をなすべきなのか?もう一度自分が辿っている生き様としての足跡を振り返ってみたい。