12人の怒れる男 を観てきました。

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祭日の休みを利用して、ニキータ・ミハルコフ監督の「12人の怒れる男」を観てきました。2時間40分の上映時間の中で、多くのロシアを舞台にした情報が凝縮されて表現されているのですが、そこには戦争があり家族があり人々の死がある。
裁判に立たされているのは、チェチェン人の少年だが、義理父を殺害した容疑で裁判にかけられ、12人の陪審員の判断にこの裁判の決定が委ねられることとなる。
陪審員の決定方法は、12人全員の同意が前提となり、全員一致の見解が出るまで缶詰め状態の協議が続けられることとなる。それぞれ社会的に仕事を持っており、どんどん長引く協議にいらついたり投げやりに議論を進めたりする中で、一人ひとりが自分の人生を語り始めながら犯罪と向き合うようになる。一人一人の個性がぶつかり合いつつ、事件と少年への思いを次第に熱く語り始める筋書きはさすがにロシアの1流監督作品と認めざるを得ない迫力が感じられる。
初めは無罪を主張する意見は少数派であったが、しだいに多数派だった有罪判断が崩れていき無罪の判断を下す人の割合が増えていく。12人のそれぞれが、自分の人生における苦しさや涙を語りだし、無実の罪を着せられようとしている少年の心境と思いを同じくしだす議論が興味深い。多数決では圧倒的に不利であった少年に対する無罪の主張がやがて主流派となり、最後には全員が無罪の判定を下すところに至る。・・・こう筋道を話すと、「やっぱりそうですか」で済まされるかもしれない。ストーリーは、実はハッピーエンドで終わるだけではない。
真犯人とそのグループの悪意ある策動が一人ぽっちの少年に襲い掛かる不安が広がることを懸念し、陪審員の一人である議長役の男が、出獄する少年を引き受けるところで物語は終わりとなる。彼は語る「私は最後まで有罪を主張したい。何故なら、本当は監獄の中の方が安全かもしれない。真犯人たちが少年を捕えて殺害することを防止するためには、現在のロシアはあまりにも部防備だ。少年を無罪として社会に放り出したとて、いったい少年はどうして生きていくのか?」
身寄りもなく(少年の両親は、すでにロシア兵により殺害されてこの世にいない)教育も受けていない少年が安全に暮らしていくにはあまりにもハードルは高く生きていく未来は危険に満ちている。・・・そこで、彼は一大決心をして陪審員の解散時に宣言する。「私たちの仕事はこれで一段落をする。しかしこれで全てが終わったわけではなく、一つの問題をクリアして一歩階段を上がったにすぎない。これから少年と彼を守る者たちの永続的な戦いが始まる。孤独なチェチェンの少年を守り彼の自由と生存を保障していくためにはロシアという国家に住む者たちの愛情が必要であると。

1992年からの15年以上にわたってチェチェンでの内戦が続き、15万人以上の死者が出ている戦闘状態が続いている社会背景を通じて、本当の意味でロシアが平和な国家となるためには何が必要なのか?というテーマにこの映画は答えようとしているようにも思える。
ミハルコフ監督は、自ら映画の中で役者として登場しつつ、言葉にならないが語りかけているものをひしひしと受け取ることができるように思う。
単に陪審員たちの評決が決まって、全員一致の評決が出され少年が無罪にされたとしても問題はその先にある。チェチェン紛争に示されているようにあまりにも多数の血なまぐさい犠牲者の上に現在の社会的秩序が作られてはいても、1枚皮をはがせば不安定で危険な対立と憎しみがロシア内にあふれているのではないか?
この闇の部分をどうしたらなくしていけるのか?その大きなテーマを追いつつ、その時に人々の前にともしびとなって進むべき方向を照らしていくものは、宗教や人種を超えた人間としての愛情であることを示唆している。
この映画を見てつくづく思うことは、一つの事件を追ってその背景を探ってゆくと必ずその社会の隠されている姿が明らかになり、何がそうした事件を引き起こしたのかが見えてくるということだろうと思う。もちろん複雑な要因が重なっているのですが、事件の多様な要因を明らかにすることによりそれが有罪なのか無罪なのか?が見えてくる。
裁判の判決というものが、安易な懲罰主義に陥ることなく適切な司法判断を下すためには、いったいどういった立場が求められるのか?この映画は様々なテーマを投げかけていると思う。
ただひとつ、この映画構成で不満なことがある。それは陪審員がすべて男性で占められており女性が含まれていないことです。
もちろん、映画には女性も登場し描かれているが、主たる登場人物はすべて男性により構成されている。それが映画自体の価値を低めているとは思わないが、現実の世界では男女が織りなす社会を形成している。この意味では不自然であり偏っている世界が恣意的に作られているように思う。
もし私が第3の「12人の怒れる男」を制作するのなら、題名は本来の「12」として登場人物に何人かの女性を含めたストーリーを作りたい。
・・・来年から、日本でも国民参加の陪審制度=「裁判員制度」が開始されるという。
この未知な裁判制度を始めていくにあたり、この映画が問いかけている問題はまことにタイムリーであると言えよう。
1回ではなかなか分かりにくい面も多々備えている筋書きです。
2度3度観てみる価値のある作品ではないか?と思える映画に出会ったように思う。