待ったなしの悪戦苦闘。

no-mu2008-09-23

職業がら、認知症に罹った利用者と家族の相談を受けることが多くなった。
個々のケースにより、どれも複雑な家族関係を持っており、一人一人の利用者の背景にはたくさんの人たちが関係している。
しかし、だからと言って、関係している全ての人達が、こうした利用者に支援の手を差し伸べているとは限らない。
殆どのケースでは家族もそれぞれの生活があり自分たちの暮らしの維持と利用者の支援を続けていくことの両立に対して大きな不安を抱えている。

もし、家族や利用者の周りの人たちで十分な支援が可能ならば、公的な支援はほんの僅かなもので事足りることになる。しかし、こうしたケースは残念ながら数少ない。
経済的にも、精神的にも認知症の人達を支える事は半端な気持ちではかかわりを続けることができないため、どうしても公的な支援が不可欠とならざるを得ない。

最近相談を受けているケースを紹介すると、従来から認知症を指摘されていた80代の女性と、その夫がいる。最近、夫に癌が発見され、すでに末期の肝臓がんであることが病院で指摘された。若ければ、手術等の選択肢もあろうが、高齢の為にあえてリスクの高い処置はされず、最低限の服薬処置等による見守りをしながら余生を送ることが家族本人により選択された。
しかし、夫も最近は認知能力に衰えがみられ、自分の病気に対する認識があいまいになってきていることが心配されている。
検査入院等で病院に収容されても、すぐに病室を抜け出して家に帰ろうとする。
たまりかねた病院の医師が本人と話をして、理由をただすと「妻のことが心配」であることが分かった。・・・自分が入院して妻を一人でアパートに残していることがどうしても気になって仕方がないらしい。長い間、夫が認知症の妻を見てきたので、自分が世話をしなければ妻は生活していけないと心配をしている。
息子さんが説明して、「お母さんは、私たちが看ているので大丈夫。安心して病院で治療に専念して下さい」と説得しても、その時は分かったふりを見せても、また数時間すればナースステーションに来て「もう退院したいから、家に帰る」と言って困らせる。夜もひっきりなしに起きだしては、「妻のことが心配だから、退院する」と宿直の看護師を困らせる。

・・・そんなやり取りが重なり、落ち着いて入院することが出来ずすぐアパートに舞い戻ってしまう。
しかし、家に戻っても、1週間も持たずに体の調子が悪くなり、またまた再入院となる・・・こうしたことを繰り返している。

家族からは、夫の介護申請を依頼され、申請代行を夫に説明する。しかし、「こんなもん申請して何になる?」と本人は保険申請の必要性を理解しない。やむなく、「息子・娘さんから依頼を受け今後の夫婦の生活を支援するためには社会的な支援が必要なのです」と説明し、やっとのことで申請用紙に押印を頂き、申請をする。
はたして、サービス利用について、本人と夫婦がどの程度理解できるのか?大きな不安が残る。家族さんたちに、しっかり介護サービス利用をお話しするよう依頼しているが、本人たちに納得させるのは難しいようです。
ケアマネとしても、サービス担当者会議を開き、何とか公的なサービス利用の必要性を分かってもらおうとしているが、どの程度理解しているのか?不安が多い。

現在訪問看護と、奥さんの方のディでの入浴をやっと利用にこぎつけているが、訪問介護の生活支援など本来必要なサービス開始が出来ない。…いくらその必要性を説明しても、本人たちは「知らない人に家に来てもらうのは嫌だ」と主張する。

たまには家族さんたちが本人たちを自分たちの家に連れて帰り、食事をともにして家族としての団欒を持とうと試みておられるが、すぐに「家に帰りたい」と言いだされ、自分達のなじみのアパートに連れて帰ることとなる。
以前は夫が車いすに妻を乗せて散歩などに連れて行っていたが、現在は病気の進行もありもうそんな元気がない。だからストレスが貯まった妻が勝手に買い物に一人で出てしまったりタクシーに乗って行き先が分からず警察に保護されて家族に連絡がなされてくる・・・そんなことも繰り返されている。

要するに、この夫婦と家族は、目下認知症という病にさいなまれつつ、夫婦だけではなく家族を巻き込んだ介護騒動の真っただ中に置かれている事例です。

いったい、位置までこうしたことが続くのか?
今後どういう事態が起こるのか?予想できるようでもあるし、また誰にも結果は見えてこない。

彼らを側面から支援する専門職として、可能な助言と支援のための調整を自分がしていくだろう。しかし、一つ言える事は今の日本社会はこうした認知症事例に対してまだまだその支援対策が弱すぎるということです。
地域での、こうした認知症利用高齢者に対する支援の体制が出来ていないこともある。
真剣に対応しようとする家族を、しっかりと社会が支えなければ、ぐらつき不安が増幅することは目に見えている。
もっともっと、こうした実情を発信して、必要な支援体制が整備されることを急ぐ必要性を痛感する。