非正規労働者の声を聴け。

no-mu2008-12-17

マスコミは、今盛んに非正規労働者の就職難を取り上げ、年末に職を失くして凍りつく街頭にたむろする人達が増えていることを伝えている。
特に製造業では、極端な受注減少の影響から、利益の減少を是が非でも食い止めるために派遣労働者の首を切る事業所が増加の一途をたどっている。
政府も、事の深刻さを察知してやっと派遣労働者支援策に乗り出した。
特に失業と同時に住居としての寮を追い出される人たちに対して、当面の住居に住む家賃を補助する政策や、新しい仕事をあっせんする事業支援の資金等を捻出するのだという。・・・こうした支援は当然ではあるが、多くの失業した派遣労働者には雇用保険すら支給されない人たちが多いという。
あらゆるセーフティーネットから漏れ、次の仕事先が定まらず、生活保護担当者からも「働ける人は働いて下さい」と窓口から申し込み対象として除外される。

・・・労働組合等で支援活動が得られる人たちはまだ恵まれているのかもしれない。
しかし、組合もなく他に支援を受けられる組織もない人達がもっともこうした影響に対して深刻な影響を受けていることを忘れてはならない。

弱い立場の既得権が脆弱な社会層に生きる人達を、いったいだれが責任を持って支援するのか?
本来は政治家が先陣を切ってこうした人達を守る政策を講ずる責任を負っているはずだが、実際はどうか?
企業の経営陣の顔色ばかりを伺い、高額所得層の利潤を守るためには国民全体が耐え忍ぶ必要があることをアナウンスすることに汲々としている議員連中が居る。しかし、守るべきは劣悪な職場環境でも身を切って働き続けている労働者たちではないのか?
企業の何を守るために非正規労働者を増やしてきたのか?は今や国民の誰もが知っている。今こそ、雇用問題の本質を解き明かして労働運動としての活力を呼び覚ます好機であるはずなのに逆に労働組合が企業を防衛するための別動隊に変身している実像が垣間見られるのは大変残念なことだ。
非正規の労働者の雇用を守るために、正規の労働者が立ち上がれば、そこで本当の働く者の連帯が生まれてくるはずなのに、そうした連帯の動きはまだまだ弱い。

第8回の大仏次郎論壇賞に、『反貧困ー「滑り台社会」からの脱出』(岩波新書)が選ばれた。作品を書いた湯浅誠氏は、今一度日本社会の実態を見つめなおして政治が何をすべきかを問いかけている。本当に強い社会というものは、非正規労働者の健康と仕事を奪わない社会であるべきではないのか?と問いかけている。
「自己責任」という言葉で切り捨てられていく社会的弱者を、社会的な救済措置を講ずることなくこのままどんどん街頭に排除することが認められていくならば、必ずやそのしっぺ返しとして日本の社会は社会の土台から腐敗が広がる事態を招くと思う。・・・もちろん治安も悪くなるだろうし、青少年の心にも悪影響が広がるだろう。格差が広がり、人々の気持ちの中にやさしさというものが欠落してくれば、当然社会の相互扶助感がますます低下の一途をたどることとなる。こうなれば子供たちの希望が少しずつ切り縮められて国民としての明るさが萎んでしまうことが心配されてくる。

今、日本で進行している派遣切りを、社会全体の問題としてとらえて救済することから全ては始まると言えよう。
「反貧困」の雄たけびが、果たして社会変革のきっかけと成り得るのかどうか?これは私たち一人ひとりの心にかかっていると言えよう。

これから年末年始にかけて、湯浅氏が投げかける問題に、じっくり耳を傾けていきたいと思う。

寒いこの時期、街路樹を賑わしているのは椿の花です。