雇用危機の内実を考えるために。

12月28日の朝日新聞OPINION欄に、「耕論」と称して3名の論者が現在の雇用危機の姿に対して自説を書いておられた。
とりわけ、印象深かったのは品川正治氏の記事でした。
彼の肩書(経済同友会終身幹事)からすれば意外な発言要旨があったので紹介すると、まず現在の状況に対して「異常な」現実感覚を吐露され非正規雇用の労働者が最大の犠牲を強いられる構造を指摘している。その背景には米国型の経営手法があると断じ、リストラで労働者の配分を減らし株主や経営者の報酬を増やすという流れが出来上がっていることに警鐘を鳴らしている。
そこから氏は憲法9条を指針として、人間の目でとらえられる経営手法を取り戻す必要性を説く。その意味で、米国型の金融資本崩壊には賛同の意を唱え、企業内で労働者の雇用を守る経営感覚が確立される必要性を説・・・雇用の確保が成長を遅らせるという考え方には根拠がなく、むしろ外需頼みの経済から内需への転換を促すためには雇用を安定させる必要があることを指摘する。「経営者は本来、資本家の為だけではなく、従業員や代理店など全ての利害関係者の為に仕事をするものだ。」と述べる氏の趣旨には大いに賛同するものだが、こうした考え方が実際の経営者の中でどれほどの支持基盤を持っているのか?疑問が残る。
なるほど、言われていることは正しいしそういう人間主義に反対する人はなかろう。・・・しかし、表向きに口で論じられることと今現在進行中の派遣切り・リストラの嵐はまるで氏の考え方とは逆行している。この寒空の中で住む家からも追い出され職を見つけるあてもない人々からすれば、こうした経営陣の中からの論説がどれほど虚しく響いていることか?

昨年10月から、3月までの半年で予想される非正規労働者の失職数は8万5千人に達すると予想され、来春採用内定の企業から、その内定取り消しを通告された若者たちがすでに800人近くにも上っているという。・・・雇用の不安は、中高齢者だけではなく若年労働層にまで拡大している事実がある。そうなると、働けるどの層においても、自分が職を失う可能性が高まっているともいえよう。おそらく、この流れば続けば正規労働者へも雇用危機は進んでいくものと予想される。こうした事態に対して、果たして政治は有効な手立てをとれるのだろうか?大きな不安がある。

職を失うことにより、人々は初めて生活をすることの危機を実感するだろう。当たり前に普通に暮らすことの危機は、社会の中で、少なからぬ人々が職を見つけられない現実が深まり貧困を実感しつつあるとすれば、誰が「自分は大丈夫」と言い切れるだろうか?
家も資産もふんだんにある人ならばいざ知らず、普通に働いて暮らす市民であるならば現在の社会不安はあすの我が身の不安として見ることが出来る。
第8回大仏次郎論壇賞、第14回平和・共同ジャーナリスト基金賞をダブル受賞した、湯浅誠氏の『反貧困ー「すべり台社会」からの脱出』では、貧困状態に至るまでの背景要因として以下の「5重の排除」を挙げている。興味深い論なのでここに紹介しておきたい。
1・教育課程からの排除。
・・・これは親の世代による貧困と深く結び付いており、高等学校から大学という教育課程を受けることが出来なかった人々が該当する。
2・企業福祉からの排除。
・・・普通正式な雇用には厚生年金や雇用保険が完備され、福利厚生対策により保護されるが、そうしたものから排除され、組合共済等からも抜け落とされている人々が該当する。
3・家族福祉からの排除。
・・・大人になるまでの過程で何らかの家庭崩壊があり、頼るべき兄弟や親せき等からも見放されている人々が該当する。法律は、こうした家族福祉がないということで一切の補償をしてくれることがない。「働けるものはすべて自己責任で生活すべし」これが日本の市民社会の原則となっている。働かず住む家のない者は、橋の下や公園で寝泊まりすることになっても、それに対する保証は現在の生活ほど対策では除外されている。
4・公的福祉からの排除。
・・・生活保護課に対して様々な人たちが相談に赴き、公的な保護を申請しようとしてもまずは残されているあらゆる努力が問われてそれをしていない人達は追い返される。「若いから働いてもらわないといけない」「子供を預けて働きなさい」「一定の定まった住所がなければ生活保護は受けられない」・・・こうした申請希望者を追い返す能力が問われているのが現在の生活保護窓口であろう。初めての普通の申請者が申請書を出して受け付けてもらえる可能性はますます低くなり、市町村の窓口での受け付け確率が低い部署が評価を高くされる現実がある。専門的な弁護士等の同行や助言がなければ、相談が申請として受理されることはどんどん厳しいものになっている。・・・しかし、それでも生活保護受給人数と生活保護世帯数は増大の一途をたどっており、今後もその傾向は高まることが予想される。
5・自分自身からの排除。
人は誰も夢を持ち、自分の望む生活を描いているはずだが、上記の1から4までの排除を受けていく過程で生きるための意欲を殺がれてしまうこととなる。その結果最終的には精神的な病を持つ。・・・つまり生活を成り立たせるための工夫や情熱が失われてしまう傾向です。この自分自身による排除が、決定的なものとなり、もはや専門的な治療を講ずるほか状態の回復が図れない領域に立ち入ることとなる。

この分類は非常に興味深く、今後日本の貧困を論ずる過程ではぜひ参考にしておきたい考え方です。

雪雲が夕やみの夜空を覆い、かすかに雲の切れ目が垣間見れるのが分かります。