脳みその中の連帯から・・・

no-mu2009-01-12

あるジャーナリストのブログを読んでいたら、今年は年賀状を一切書かなかったことを話しておられた。それは故意に書かなかった訳で、理由としては海外での血なまぐさい紛争が深刻となり特にイスラエルのガザへの攻撃が悲惨な結果を生んでいることを書かれていた。また、国内では 企業の利益が激減したと理由で派遣や非正規の労働者が何万人も路頭に放り出された。単に企業を首になるだけではなく住む所からも追われて冷え込む街頭に行く宛てもなく放り出されているという現実がある。
まるで非正規の労働者は、一切の保険や安全弁から除外されたような冷酷な対応がなされて、さすがにマスコミも「これはおかしい」と声を揚げだした・・・

こうした2009年の日本の現実に生きてきて、そのジャーナリストは感じている。
「おめでとうなんて挨拶は必要ない。今必要な事は、自分が何が出来るのかをとことん考えることだ。中東の紛争力から、この日本の地はあまりにも距離が離れているがだからと言ってあそこで起こっていることが他人事だと思いたくない。同じ人間として、何かがしたい・・・」

おそらくこんなことを考えているのかなと勝手に考えています。
でも、彼の感覚は間違ってはいないのです。
たとえ地球の裏側であっても、非人間的な攻撃を受けて苦しんでいる人達が居るとしたら、それを止めさせることは出来ないのか?そう考える人こそ人間として相応しい感性を持っていると思うのです。
・・・自分は安全だからそれだけで満足している人が居るとしたら、それはあまりにも単純すぎると思う。
何時か、不幸が自分に訪れた時、その時初めて分かるのだろうか?
「あの時は感じなかったが、今自分が不幸に遭遇してやっと分かりだした。私は連帯することを知らなかった。」
こう語ったとしても、不幸の連鎖を増幅させたことの結末はあまりにも悲惨な現実を招くことになる。

こうして、私たちが今考えるべきことをもう一度見直していかねばならないのではないか?
そう、世界で起こっていること、社会で起こっていることを自分のこととしてその訴えを聞いていく生き方が問われている。

自分の家族や恋人のことを真剣に思うように、社会のいろんな人たちの声を正面から聞いていくことが必要だと思う。
こうした自分の中の日常訓練の延長線上から、きっと私とあなたの繋がりが温かく膨らんでいくものと信じる。

人それぞれ、形はいろいろあっても良い。生き方も多様で良い。
しかし、人のことを自分のこととして常に対応できる人が増えれば、この社会は必ず住みよい社会になると思う。


夕焼け前に空と雲がきれいに輝いていました。


そのあと、こんな夕焼けが輝きだしました。・・・明日は晴れるのかな?


いつも不思議に思うのは、こんなに低いガードレールが何で作られたのか?おそらくちょっと高めの車だと屋根をこすってしまうだろうな?危ないと思うよ・・・