心のスペースを作ること。

和のふれんちたま奴

土曜日に、京都二条城のそばの会場で開かれた「青空禅フォーラム」に行ってきました。
ちょうど昔の教室を思わせる黒板が置かれた会場(年季が入った建物です。休憩中に調べてみると、京都の福祉関係の団体やグループが沢山事務所として使っておられる場所でした)
そこに約50名くらいでしょうか?参加者が集まり、(その8割は女性です?!)医師でありセラピストでもある伊東光隆(http://www.cocoon-japan.com/profile.html)さんを講師として話を聞かせて頂きました。
伊東さんは、はじめに参加者と一緒に15分ほどの瞑想時間を提案し、柔らかい誘いの言葉で無理なく心地よく”小禅”の体験をみんなで共有することが出来ました。(当日、初めての参加者が半数くらい居られるという係のスタッフからの報告を受けて瞑想を先にされたようです)そのあと、ゆっくりとした高くないトーンで淡々と話をされる。何度も横に置いているお水を飲まれる。時には、「ええと、今何を話していましたっけ?」ととぼけて見せたり、・・・総じて緊張感というものを感じさせない語り口です。
・・・原稿を読み進めるような講演ではなく、参加者の様子を見ながら時に質問の手が上がると丁寧に答えられながら話が続きました。
途中休憩の後また1時間ほどの講演があり、最後に質問コーナーを設けられて終了。で、その中身ですが・・・

まず、興味を持ったことは、前途言えば何か昔の仏教挿話や物語りが沢山されるのかな?と思っていたのですが、意外と一つだけ、後は彼独特の柔らかい語りが積み重なった講演でした。
・・・その一つとは?禅の起源を簡単に紹介されました。
なぜ、お釈迦さんが何事も語らずただ一輪の花だけを持って長時間座り続けておられたのか?その真意を測りかねていた弟子たちと、ただ一人だけ笑い(どんな高笑いだったのか、それともにやにやとした笑みであったのか?分かりませんが)を持って釈迦の教えに気づき合点をされた弟子が居られた。その者に弟子の称号が与えられ、以来22代の時間を経てダルマさんに辿る・・・こうした経緯はご存じの方も居られると思いますが私は初めてお聞きして印象深かった。
日本において伝えられた禅(臨済宗など)が発展して現在の日本独自の禅が確立したことを聞き、日本人にはきっと分かりやすい教えになったことが分かりました。
もちろん、禅の奥義はこんな簡単な言葉で表せるような内容だけではないと思いますが、禅の本質はこういうことかな?という示唆を受け取ることが出来ました。
話の中で言われた、「在家で良いんです。日常生活の暮らしの中で、自分が一番ほっとする場所で、短い時間で良いから瞑想の時間を持って下さい。出来ればその回数を沢山作って下さい。」というアドバイスは、なるほど、そのやり方ならば我々でも出来るという安心感を与えられました。

しかし、一つの注意点として、大事なことを付け加えて言われていた。それは「何かを得ようとするなら、自分が抱えている思いを横に置きなさい」というメッセージです。
私たちは、自分が持つ財産や地位などを捨てなさいと言われたとき、すぐにはいはいと何もかも放棄できる人はいないでしょう。
そばに飢えた人がおり、某かのお金を必要とする人に出会えば、いくらかのお金を提供する気持ちはあっても全て与えきることなど出来はしない。だから、全て所有を放棄してしまいなさいと言われたら、それこそ仏門に入ろうとする人以外は「そんな教えにはついて行けない・・・」と言うことになるでしょう。確か、キリストが富める人たちのことを語って「富んでいる人が天国に行くには駱駝が針の穴を通ることよりも難しい・・・」確かそんな話が聖書に書いてあったことを思い出す。

でも、伊東さんは「無理なく少しづつ自分の持っている思いを解き放つ練習をして下さい」と語られていました。説明を聞いているうちに、それなら自分にも出来るかなという思いを持つことが出来ました。

・・・今まで、禅と言えばちょっと難しい肩のこるような修行?と勘違いしていた自分も、今日のフォーラムで考え方を転換する機会を得ました。
物事の事象に振り回されることなく、常に自分の視点を見つめる生き方というものについては大きな共感を持ちますし、この世知がない世の中、緊張だけに左右されてかさかさの枯れた生活を続けることなく、常に心の余裕を持った生き方をしていきたいと思い続けてきました。

悟りのような境地が必要だとは思いませんし、人と社会から避難して自分の安全地帯を確保したいとも思いません。
しかし、自分の生活と仕事の中でぎすぎすした関係や問題が多発するつながりの中で、少しでも自分を含めた人間が余裕を持った暮らしが出来れば世の中が暮らしやすくなると思う。
大きな改革や変革は自分一人の活動だけでは困難であっても、暮らしのつながりの中で心のゆとりと関係作りを進めることは出来る、この延長上にきっと禅と言うものがあるのかもしれないと思いました。

私も雲と青空が大好きです。
心がかさかさになったとき、目がかすんで頭が仕事のもやもやで一杯になった時は必ず屋外に出て空を見ることにしています。(都会では、なかなか青空に出会えませんが・・・)
富める者にも、悩める者にも分け隔て無く姿を示している大地と宇宙の存在にしばし自分の原点を知ることはとても大切なことです。


写真は、フォーラムの後、京の街角にある素敵なお店で家族3人食事を味わう時間を持ちました。料理はもちろん、素敵な色合いとオリジナリティーがこもっていました。(写真だけでおいしい香りが届けられずすみません)

まずは、このお店の入り口から見た全貌です。古い呉服屋さんの屋敷を改造されたとのことです。

はいはい、これは20種類の春野菜をならべてあって、目で鑑賞しながら味わう京サラダです。

次にこれは、ゴボウを主たる材料にまろやかな味わいにしてある温かいスープ。横に細長く見えているのはゴボウの細めに干物にしたかりかり棒です。

13穀ご飯です。こんなおいしいご飯、少ししか食べられないのです。横にある白菜のお漬け物、これがまたおいしい。

最後に出たのが、ぜんざいとおうすですが、中にはカボチャと白団子が入っていて体が温まりました。

あんまり満喫気分になりましたので、当ブログ初公開で、私の奥様とのツーショットも貼り付けておきましょう。・・・何々顔がよく見れない?はっはは、ちゃんと太陽さんが陰を作ってくれました。これは歩いてお店に行く途中の、堀川あたりでとりました。
・・・いつも最後まで読んで頂きありがとうございます。