桜も見頃、京都は伏見教会での「お話と賛美の集い」に参加して。

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昨日の雨が収まり、今日は日本列島、きっと多くの地でお花見が楽しまれたことと思います。
私は、午後から伏見教会にて開催された、森祐理さん(http://www.moriyuri.com/)を招いて開催された集いに声かけて頂き参加しました。
14時ちょうどぎりぎりに着いたのですが、既に礼拝堂にかなりの人が前から詰めて座られており、用意された椅子は満席でした。
この会で約1時間、森さんのトークと歌が披露され、話の途中で出席者一同が賛美歌を歌う味わい深い催しでした。
森さんが話された内容について、二つ三つ印象深かった挿話を今日は書いてみたいと思います。

○森さんの家は普通の日本の仏教宗派の家で、幼稚園を聖母学院付属のミッションスクールで過ごした体験から、賛美歌を歌いお祈りをする体験が自然と身についたそうです。
また、お母さんの影響で知り合った米国人が牧師だったことにより、教会へ誘われる。本来は英語教師だった母君が先に教会へ行くはずが、何故かお母さんは遠慮されて、身代わりになって祐理さんが教会へ通うようになり、弟二人を連れて毎日曜日教会学校に行くようになったそうです。・・・毎回、送り迎えのために熱心な信者さんが家まで送迎をして貰うこととなる。そのあまりに熱心な送り迎えに、さすがに両親も心を動かされ、やがては父母も教会に行くようになられたとのこと。
そんな森さんが中学生の頃、学校でお昼の弁当を食べる時に周りの友人を集めて食事の前のお祈りを毎日していたそうです。「今から思えば、よくその頃いじめに遭わなかったものだと思います」と森さんは語られていましたが、そんな大胆な行動的な少女だったようですが、それから20年以上?経って一人の中学当時の同級生から一つの手紙が来たそうです。
 その中で、その同級生が、結婚や離婚子育てなど様々な経験と悩みを持ちそれに耐えきれなくなって悶々としていた頃にふと森さんが教室でみんなを集めて食事の前のお祈りをしていた思い出を思い出し、教会に行ってみようと決意されたそうです。・・・やがてその方は教会で洗礼を受け、敬虔な信者となられその報告の手紙を祐理さんに届けられたと謂うことです。

この話は、単にクリスチャンに誰かが目覚められたという話と謂うよりも、中学生の当時そんな大それたこととは自覚せずに素直に自分の信じる行為を同級生たちにも声かけしていた働きかけの積み重ねが、思いもかけない結果を生むと謂うことを物語っているようです。森さんの話には、誇張もなく何の粉飾もありません。当時は深い意味もなく行われていた食事前のお祈りが、大人になり生きることに揺らぎかけたクラスメートの人生を支える役割をしたという事実があるだけです。・・・この話も、何だか味わい深いものです。

○森さんの音楽活動も、始めからずっと順風満帆ではありませんでした。NHKの歌のお姉さんとして、東京で活躍しだしたのは良かったのですが、疲労とストレスで「声を失う」体験をされたと言うことです。特に歌手の場合、声帯を酷使する仕事なので、よくこうした経験があることを聞くのですが、祐理さんもこの体験の中で相当苦しい日々を経験された。
あるとき知り合いの牧師さんから、「スイスでの集まりに参加してみませんか」と声かけがあり、夢に見ていたヨーロッパの国に行けるという一心で貯金をはたいて同行されたようです。
その会合の最終日に、参加者の一人から最終日の集まりで歌を歌って下さい、と依頼されたようです。・・・当時、声帯をつぶしていた祐理さんはとても人前で歌うことなど出来ないと辞退されたようですが、熱心に依頼されて根負けし引き受けられた。前日は、声が出ないのでは?と心配で眠れなかったそうです。
やがて、祐理さんが歌う時間となり世界各国の聖職者たちが注目する中で歌う緊張感からその場から逃げ出したい心境となり、それも出来ずに神に祈られたそうです。「神様、どうぞ私に声を出させて下さい!」
やがて、祐理さんはアメージンググレイスの歌を歌い出し、自分でも驚くような歌声が出せたそうです。このときの体験が、以後、彼女の活動の進路を方向付けました。
独唱が終わって、喜びの挨拶をする祐理さんに対して、会場の全ての人が立ち上がって拍手と神への賛美を唱え、長い間鳴り響いていたそうです。
こうした体験が、今日の森さんの活動に大きな力となったこと、自分が歌って人々を感動させたのではなく、自分ではない神が歌わせたと感じるようになったそうです。
森さんのそれからの活動は、単なる一歌手としてのそれではなく、常に教会の活動を意識したものとなり、自信もクリスチャンとしてキリストへの信仰を維持しながらのイベント活動をされています。

○祐理さんを語るには、やっぱり弟さんのことを話さなければならない。お二人居られた下の弟さんは、大学を卒業して立派な社会人として飛び立とうという矢先に阪神大震災により亡くなられました。あまりの突然の悲報に、ご家族の悲しみはどれほどのものであったろうか?は想像することすら出来ません。姉として、天災による弟の死が大きな心の空洞になり、長い間癒されない苦悩として心に張り付いたとのことです。震災で犠牲となった6千人以上の人達それぞれに家族や友人があったでしょう。一人の死というものに対して、家族や友人たちの多くが悲しんだことでしょう。身近な者の死というものは、時間がどれだけ経とうともなかなか回復されるものでもなく、思い出せば悲しく忘れようとしても叶わない心の苦しみとなっていきます。
そんな体験を通じて、祐理さんは教会にて諭されます。「弟さんを失った悲しみは癒えることはない。しかし、そうした悲しみを知っているあなたが歌う唄には、現実に悩み苦しむ人達の心に相通じるメッセージを届ける力が与えられる。」始めはそれを、いくら言われてもなかなか受け入れられなかった。しかし、そのことが次第に分かるようになってきていると話されていました。

今でも、弟さんのことを思うと心が痛み、悲しい気持ちを思い出すことがあるが、自分はそうした体験をばねにして、歌を歌うことにより人々にメッセージを届けることが出来る。
それを続けることが、私が今出来ることであり、自分として喜びを持って続けられることです。・・・そう祐理さんは話されていました。

きっとこれからも森さんは歌を歌う活動を続けられることでしょうが、挫折や苦悩の現実に遭遇されることもあるでしょう。
しかし、そんな困難なときに、常に自らの信仰に心を澄まして祈られるとのことです。神に祈り、質問をすれば、必ず答えが出されてくるようです。

私は、今は神を信じる者ではない(?)ので、この辺の祐理さんの信条のことはよく分かりませんが、人間、困ったときには自らの心の奥に対して、「いったいどうなっているのか?」問いを発して見ることはよくあることです。宗教的見地からすれば某かの信仰として祈るのかも知れませんが、私のような人間でも祈ることはあるのです。・・・それは、宗教と言うよりも一人の人間としての願いのようなものです。願いは誰に届くというものでなく、得てして一人の気持ちの中だけで燃焼するものです。でも、その人が某かの祈りをしていたという事実が、その人を含めて世界の誰も知らなくても良いじゃないですか?
地球上で、誰かが誰かのために祈っていること自体、暖かみのあることだと思うのです。
言葉に残せば、誰かが読んでくれるかも知れないし、歌にすれば誰かが聞いてくれるかも知れない。でも、何にも残されない祈りというものも実は世界にたくさんあると思う。
・・・例えば、どこかの国と国とが戦争をして、若い兵士が死んでいく瞬間に「さようなら」と家族や友人、恋人に対して叫ぶこと・・・こうしたことは沢山あるだろうと思う。
肝心なことは、私たちが世界で行われている不正や暴力を見過ごさず、全ての人達が仲良く暮らせるような関係を築くための小さな行動を大きくできないか?ということに行き着く。
亡くなっていく人々の声に耳を澄まし、彼らを分け隔て無しに悼むことが出来れば・・・私もあの天童さんの言葉の心境が分かるような気がします。

森祐理さんの歌声は、今日も京都の地で何十人の人々に届けられ力を注がれました。私は、ただ聞くことしかできずに済みません。

改めて、彼女のような社会活動をする人達がもっともっと増えていけば良いのに・・・と感じました。

最後に、人間の声の可能性を今日の森さんの歌声を聞きながら考えさせられたことを付け加えておきたいです。単に、歌が上手いからだとかでなく、心の底から訴えるものが伝わるのだと感じました。それが信仰という宗教的なものなのか?祐理さん自身の歌声から来るものなのか?今のところ私には何とも言いようがありませんが、人間の声というものには、これだけの訴えかける力があるんだと実感できました。
つくづく、自分はまだまだ修行しなければ、と実感しました。自分の持ち場での仕事に対して、もっと本気で向かい合う必要があることも・・・
・・・それに、なんと言っても森さんは可愛らしい方ですよ。改めて、彼女のファンになったみたいです。