2016年リオディジャネイロオリンピックの決定に寄せて。

南米初のオリンピック開催が決まった。
今まで、北米から南にはオリンピック開催がなかったが、3度目の立候補でようやくリオが開催都市と決まった。
治安の悪さや財政問題などでは問題視されてはいるが、ブラジルの人達を含め南アメリカの人達にとっては嬉しい開催地決定と思う。
こうした、未開発でオリンピックに夢を持つ都市が選ばれたことは判断として賢明だったのではないか?

オリンピックは、4年に一度開かれるが、こうしてまだ開催地域に選ばれていない大陸があるなら、それが最優先される判断は誤ってはいないはずだ。
東京は、1964年開催から50年が経過するといえどもまだ開催できていない地域があるのだからその地域の都市が優先されることはどう考えても妥当な結論だと思う。
ましてや、2008年に北京で開催され、それから8年後にまたアジアの東京で開かれるというのはどう考えて見ても無理があったのではないか?

オリンピックは、世界の人々が政治的対立を乗り越えて一つになってスポーツを楽しむ祭典だ。
そうした開催の趣旨から見れば、未開催の大陸を優先することに勝る理由付けはやはり無理があると考える。

石原知事は、今回の東京落選に大いに落胆した顔を見せていたが、そもそもオリンピック招致の段階で、こうした基本的な検討がどれほどなされてきたのか?疑問に残る。

鳩山首相まで、こうした東京招致の流れに惑わされているようでは、この先大丈夫か?心配になる。
たとえシカゴが、人気のオバマ夫婦を呼び寄せてコメンテーター担っても、1回目の投票で再開落選したことは、驚きでもあるが、判断としては懸命であった。
日本が繁栄し、東京が繁栄すればそれで当面の経済的な繁栄が見込める、自分達の地域さえ繁栄すれば展望が開ける・・・こうした安易な発想には今後おおいに警鐘を鳴らす必要がある。

まだ、数は少ないのですが、我が家の朝顔さんは咲いております。

秋の晴れ間には、気持ちの良い空と雲が広がっていました。

まるで、絹のようなつやが朝日に輝いていました。