加藤氏の死を考えて。

フォークルの加藤和彦が自殺した。
かってのフォーク全盛時に、その草分けグループの一員として時代の先頭に立っていた人であった。しかし、音楽家としては様々なプロデュースに関わった功績が認められるが、人間的には幾度かの離婚を経て寂しい人生を歩んだ人でもあったことが伺える。
・・・聞くところによると、亡くなる直前は30代の女性と都内の自宅で暮らしていたということだが、子供さんは居られなかったのか?その辺の情報は知らない。

加藤さんが最近、音楽の仕事でいきづまり、関係者にも「仕事に集中できない。いいアイデアが出てこない」等の悩みを漏らしていたという。

楽家をも含め、芸術的な創造的仕事を担当する人達は、世間=(社会)から期待されるさまざまな期待に何とかこたえようと努力を積み重ね、成果が積み上げられる事で名声が高まる。しかし、自分のストレスケアーが上手に処理出来ていないと、得てして才能が萎んでしまって息詰まることとなる。

サラリーマンの場合、働き過ぎによる労災事故や心身の疲れをきたさないように様々な法的救済制度が備わっている。
しかし、いわゆる自由業としての芸術家分野では、こうした救済制度は適用されない。
むしろ、要望と受注が成立すれば、あとは不眠不休でも約束されている作品を期日までに作り上げる事が求められる。
人の気持ちが前向きで、アイデアもどんどん湧き出る精神的な状態であれば少々の無理難題はこなしていけるだろうが、ひとたびスランプや体調不良等で計画通りに事が進まない事態になると、精神的にも追い込まれることとなる。

おそらく加藤さんの場合も、こうした芸術創造上のストレスは我々素人が想像するよりも何倍もすさまじい悩みとして抱えながらの毎日であったろうと思う。
すでに、加藤さんが「うつ病」として周りの人達が確認できる状態であったらしいから、何故もっと早く治療に専念することが出来なかったのか?悔やまれる。

うつ病というのは、放置すると急速に悪化して自殺願望等の自虐的症状が出てくることがよく見られる。
大事なことは、その人の周りにいる人が、心身の変化に気づいてよきアドバイスを行い、頑張りすぎなくても良いんだという声かけと静養を早くその人に提供することが必要となる。

今の社会では、「疑似うつ病」にかかる人は相当な数に上る。
極言すれば、誰もが壁にぶち当たって悩む時は、「疑似うつ病」にかかっている状態だと言えよう。しかし、だからと言って殆どの人がそこから抜け出せないのではない。殆どの人達は自分の気持ちを自ら切り替える術を見つけたり、周りの人達の助言で支えられたりして、最悪の症状進行を免れているということだと思う。

ここ10年、日本が”自殺者3万人レベル”を改善できない大きな要因として、こうした「うつ症状」に対する社会的な救済ノウハウが確立されていないことに起因すると思われる。
企業も地域も家族も教育においても、自殺に対する警鐘と「疑似うつ症状」を見逃さずフォローする繋がりが求められると思う。
確かに、精神的な悩みはすぐに解決できるものは少なく時間がかかる問題が多いが、少なくとも悩みを語りそれをしっかり聞きとれる関係があれば、自殺という行為を避ける大きな防波堤になり得るのではないか?

自殺が、社会的な人材の消失であることを思えば、単なる個人的な自暴自棄として放置することは、ますます現状を悪化させることにしかつながらないのではないか?と危惧する。

政府も、やっと重い腰をあげて自殺防止キャンペーンに財政的な支援も行うようになってきている。しかし、もっと運動と地域での組織作りにお金なり制度なりを投じていくべきだと考える。そうしなければ、右肩上がりの自殺者増大カーブは、当分収まりそうにない。

1日に、90人以上の人達が自殺で亡くなっている。
この現実に私たちは慣れてしまっているが、実は私達のそうした感覚は、果たして正常な感覚なのだろうか?・・・日本に住む、私達の感度自体が、すでに病にかかっているのかもしれない。それだけの人達が自殺を選ばざるを得ないことの中に、現在の社会の病理を感じ取れなくなっているのかもしれない。
この事実を、もっと自分の問題として考えていかないと、いつまでたっても事態は改善しない。彼らが、死ななくても良かったという選択が今後確立されることにより、「人材の保護」が制度として確立していくのではなかろうか?
人間は、自ら自殺を選ばなくとも、いつかは死ぬる。
・・・やがて来るであろう自らの死の時まで、最大限に自分を全うできる人生こそ、ささやかであろうと幸せというものだと思う。

こちらは、10月上旬に撮ったスナップです。
マクロで花の奥まで眺めて見ると、まるで竜宮城のような世界が・・・?


さすがに、もう朝顔は終わりましたが、それでもまだこんな花を咲かせます。・・・最後のエネルギーを振り絞って花を咲かせているのです。
・・・こうした花が全く咲かなくなるとき、それは冬の到来です。