事業仕訳に聖域はないのか?

昨今報道の中で問題となっている事業仕訳の問題。
今まで自民党政権時代では耳にしなかった言葉です。
それもそのはず、今までは各省庁が予算請求案を上げ、それを最終決定するのは国民から見えない政治家と官僚たちの形見を寄せ合った打ち合わせの中で決められてきた。もちろん大枠については大臣や総理大臣が決定したが、予算の各事業に対する妥当性はチェックする際に情報公開されてはいなかったわけです。

ところが民主党政権になり、予算を組み替えて民主党マニフェストに則った予算編成をしていくには従来の事業に対する中身の精査が必要となりその見極めをどうするのか?が重要なポイントになります。

民主党は、この間予算に挙げられた事業内容を「仕訳公開」という手法で一つ一つ無駄を取り除く方法をとった。
これが社会的には物議をかもし、賛成反対いろいろ意見が出ている。
反対派の人日力は、「短時間で事業効率や必要性が説明しつくせるわけがない。あまりにも短絡的な即決裁判だ」と仕分け作業の無謀を批難している。確かに、もっと時間をかけて審議を尽くす問題もあろう。しかし、来年度予算を上げていくためには、いつまでも時間があるわけではなく残された時間は少ない。来年ぜひともやらねばならない事業でなければ実施を見合わせても何の不都合があるだろうか?むしろ、従来の予算では本当に必要とされていない天下り官僚を再生産する事業がどれだけ予算を無駄に食ってきたのか?その反省こそが今必要なのではないか?

こうして、事業仕訳をされていく過程で国民の前にどんどん政治の世界での税金の肥大化がかくも膨大な金額となっている実態がつまびらかになっていることが分かる。
日本の国家自体が膨大な借金を抱えていることはだれも否定することが出来ない。ならば、今後の国家予算で不必要な支出を極力抑えることは国家財政を考える場合にぜひとも失ってはならない観点と云えよう。

ただ、気をつけたいもう一つの観点が存在する。
それは事業仕訳と称して削ってはならない予算もあるということです。
その象徴的な項目として人の命を守り、国民の健康を守る医療や介護並びに福祉の領域に関わる必要経費は仕分けされてはならない。

どこまでが守られ、どの分野を仕分けするのか?評価の基準と云うものが作られて当然でしょう。今後、こうした改善を行いつつ、まだ明らかにされていない予算の無駄を今後も情報公開していく必要があると思います。

・・・あまりにも脂肪値が高く、不健全な姿を呈している国家財政を立て直していくのは並大抵な作業ではないと考えます。こうした作業には必ずさまざまな抵抗が起こる。しかし、改革はそうした抵抗に逡巡することなく、前に進められるべきです。あたかもダイエットの際の苦しさのように・・・