15年目の今日、改めて災害のことを考えました。

ハイチで先日大地震が起こり、犠牲者が数万人規模で出ているかもしれないとの情報が入ってきています。
アメリカ大陸の向こうでの天災ですが、とても他人事とは思えない事態です。
被災地域の人々を救済するために、諸外国からお金と人が投入されていますが、もっと大きな支援を届ける事業になる事を祈りたい。

思い起こしてみれば、15年前自分は新しく駆けだしている福祉の仕事を始めてやっと軌道に乗り、新設の事業所に赴任する初日の日でした。
唯事ではない地震の最中、天王寺から徒歩で大正区にある事業所まで2時間かけて歩き出勤しましたが、事務所には地元のスタッフが2.3人来ているだけで他の人達は職場に来れませんでした。当然仕事も休みになり、お昼過ぎには自宅に戻ることになりました。
しだいに神戸の惨状が明らかになり、「こりゃ、大変なことになった」とニュースにくぎ付けになりました。

でも、自分には何か協力し支援することがあったはずなのに、自分は自分の生活の中で与えられた仕事をこなすことしか出来ませんでした。
もちろん、一生懸命働いてたんですけど、そういう自分の生き方に対してどこか後ろめたい気持ちが同居しておりました。

神戸に出向けば、きっといろんな支援があったはずなのに自分はそうした支援に手を出さなかったことに、人間としての負い目のような感情を持ってしまい抱え込んだ事を覚えています。
職場のある同僚は、単車で神戸まで走り、知人の安否を確認するために奔走したという話も聞きました。そうした関わり方を聞くにつけ、自分はなぜ動かないのか?人のために働けないのか?自問自答していました。

もし、支援の要請が実際にあったなら、間違いなく赴いていたでしょうが、事実は誰からもそうした支援要請は送られてくることはありませんでした。神戸の地に赴けば、必要とされる力を貸すことが出来たはずなのに、被災地に飛び込んでいけない自分に対して「それではいけない」という気持ちと今目の前にある仕事に精いっぱい力を注ぐ必要性のはざまの中で、不完全燃焼を起こしている自分を感じました。

そうして、次第に時がたち15年が過ぎました。
震災の記念の日を迎えて、もう一度自分が目指していくべきことを考えます。どんなに遠方であろうと、その気になれば駆けつけることが出来る処で人が援助を求めていたら、やはり本当は駆けつけて必要な力を提供することが人間としての務めなのだと云う事を痛感する。
問題は、自分がその日の来るときに備えて、すぐに行動できる準備をしているかどうかにもあるだろうと思う。
必要な救済には、それなりの準備が必要なのです。
いざと云う時に、的確な行動が起こせるのは、そうした行動を想定して備えているからこそ実践が伴うのです。
・・・こうした意味で、自分が今できる備えは何か、小さなことでも良いから確実に支援が出来ることを積み重ねていける自分でありたいと考えます。


この写真は去年の真夏の昼下がりに撮った朝顔さんです。
やっぱり青々とした葉っぱと花が咲いている夏が良いですね?
底冷えがして、何枚服を重ねても身震いするような冬はどうも苦手です。