高校授業料無償化法案が国会にて議論されているが?

民主党政権の、政権公約である高校授業料の無償化に関して、暗雲が立ち込めている。
全ての日本で学ぶ子供たちに、高校教育の機会を無償で提供すると云う 「謳い文句」は歓迎すべきだが、除外項目を着けようとする動きが活発化している。
中井拉致担当相が、「北朝鮮の流れをくむ朝鮮学校については、支給をストップすべきだ」と云うコメントを出し、それに鳩山首相も同意の意向を示しているらしい。

その理由として、北朝鮮が拉致行為を認めず核開発を止めようとはしない現状の中で教育費の支給無償化は控えるべきだと説明している。

しかし、政治的主張や国家のあり方により教育的な扶助を行わないと云う説明は、民主党のそもそもの主張である全ての子供たちに平等に高校教育費を国家が負担すると云う意志と齟齬をきたす。
国家の政治や政権担当者の在り方主張に左右されて、肝心の子供たちへの支給要件が変えられてしまう事になれば、これは大きな問題であると云えよう。
この例外措置は、他の外国人学校にも波及される可能性があり、こうした除外規定がそもそもの「すべての高等学校教育を学ぼうとする者」に与えられるとするそもそもの基本見解を変更する考え方として、外国語学校関係者に衝撃を与えている。

民主党内でも、平野長官のように、「拉致や核の問題ではなく、教育内容いかんによる」判定をすべきであるとして、北朝鮮系の学校に対する恣意的な除外思考ではないと説明している立場をとる閣僚もいるが、そもそも除外規定云々を民主党から声が上がること自体問題であろう。

高校教育無償化については、対象の子供たちを持つ家族をはじめ、教育の受ける機会を社会的に補償する意味でも大きな意味をもつ国家政策であるはずだと思う。
子供に対するこう教育を、社会が責任を持って財政的にも支援すると云う、民主党マニフェストに賛成する人は多いはずだ。

それならば、政治的な色分けをこうした教育政策に含めること自体が誤っていると言える。
どこの国の民族の流れをくむ人々であろうと、どういう宗教を信奉する人達であろうと日本に住み日本で学ぶ人々については、基本的に高校教育を無償化する・・・こうした考え方こそ人としての教育を重視する教育政策として基本とすべきであろう。

今回、民主党がこうした無償化に対する除外項目を恣意的に朝鮮学校等に適用するならば、国際的にも大きな反発を受けるだろうし、国連等の教育差別撤廃の主張とも不協和音をきたすであろう。

そもそも、例えば朝鮮学校に学ぶ子供たちは、朝鮮学校を卒業して日本の社会で企業等に就職していくわけだが、特別の除外規定を作る事により彼らの将来に、「国家的な反発心」を植え付けてしまうだろう。その事が日朝の友好を作り上げる流れに障害になる事は避けられないのではないか?

鳩山首相は、「あくまでも教育の中身から判断すべき」と言明したが、それならば、カリキュラムの現状を確認すれば何ら問題はないはずだと云えよう。
教育の無償化という行政政策に、安易な政治的主張の基準を持ち込むべきではない、この事を民主党政権は心して欲しい。