燃え尽き症候への対応策を考えよう。

人間活動に欠かせないのは、様々な生きる活動を支える自己の意志と価値観が、常に正常範囲で作動している事にあります。
もし何らかの異常を呈して、冷静客観的な判断能力が出来なくなり、自己の精神的バランスが取れなくなり、その不安定要素が増大してしまうと、次に来るものは何でしょうか?

この問いに答える為に、対象を援助職に限定して考えてみると、対人援助にばかり頭を使っている分自分に対するケアーが置き去りにされてしまう事になります。
幾ら仕事上で、人の事について客観的な助言が出来ているとしても、事自分の事になると、バランスを欠いた自己決定を導き出すこととなります。
よく言われる、セルフケーと云うものがなされない状態を例えて、飛行機の中での例えがされている事は御存じだと思います。(水澤都加佐著・仕事で燃えつきないために)
・・・飛行機の中でもし何らかの異常事態が発生し、シートベルトを確かめて酸素マスクを全員が装着しなければならない事態になった場合、自分は隣近所に座っている子供やお年寄りなど、自分で上手くはめられないかもしれない人々に対してどういう行為をとりますか?という質問がある。

この質問に対して、まず弱い立場の子供やお年寄りの酸素マスクを先にはめてあげるべきだと考える人々にたいして、「本当にそれで良いのか?」と問いかけるのです。
自分が酸素欠乏となり、倒れてしまう事態になれば人を助けるどころか自分が助けられねばならない側になるのです。
人を助けられる側に立つ必要があるのなら、まず自分に酸素マスクを要領よく装着して、それからすぐに近くでまだ装着出来ていない人に対する支援を行う、これが正しい支援に立つ人の姿勢だと云えるのです。

これは例え話ですので、酸欠状態がある限定された時間だけのことならば、あるいは別の対応方法も可能だと言えるでしょうが、異常事態を予測した対応策としては、まず自分が酸素マスクをつける事が優先されるべきだと云うことは納得できる。

対人援助活動において、セルフケアを後回しにして、自分のケアーをそっちのけで人に対する支援を続けても、いつかは燃え尽きてしまう可能性がある事も納得できる。
問われる事は、自分のケアーとしてどういう事を普段から続けているのか?です。
人を援助する活動は、一定の水ガメを自分と云うものに例えて支援する事に例えられています。・・・蓄積された援助の水を、提供しつつ常にそれを補給することが出来なければ、いつかは支援の水は事欠いてしまうのです。

経済的な状況として、近未来的に現状を好転させる兆候は見られない状況の中で、人々に繁栄への希望は霞んでいます。
給料も上がらず、会社で昇進する人はわずかであり格差は増大しています。仕事はますます厳しい成果を要求される。
・・・こうした中で、人々の夢や希望が地に落ちている。

対人援助職を担っている人は、真面目な人達が多い。
何とか、対象の人達を制度の利用やサービスを活用することで苦境から救う事をしたいと考える。これは当然のことです。
しかし、一人の援助者が出来ることは僅かである事も自覚すべきでしょう。そうでないと、上手くいかない場合に自分を必要以上に責めたり、自分で出来るはずの事をやろうとしない対象者を責めてしまったりする事につながるのです。

よく言われる事は、最終の決定と進路を踏み出す行為は、それぞれの対象者にかかっている事を常に自覚させることが欠かせないのです。
得てして、「私がやって差し上げましょう。」と御用聞き対応をしていないか?自分の胸に聞いてみることです。
御用聞きが悪いと云うより、そうした「やってあげる」姿勢が対象者をして自分は何もしなくて良い、と云う気持ちにさせている事はないか?よく考えてみるべきです。

どうしても出来ない事を支援する事については誰も異議を挟まないでしょう。しかし、それが高じて対象者がその能力があるにもかかわらずいたずらに手を差し伸べることは慎むべきです。
それをやってしまう事は、相手の能力を摘むことにつながります。

最期に、水澤さんの勧める「ディタッチメント(分離)」の勧めに耳を傾けたいと思う。
時間的分離、精神的分離、身体的分離、環境的分離等いろいろありますが常に自分の仕事の在り方を見つめる時間や点検作業が不可欠です。
忙しければ忙しいほど、意識的にその仕事の在り方を見つめ直すあり方をとるべきです。

それぞれ、自分の胸に聞いてみると心当たりの事があると思う。
自分のケアーを一番丁寧にする事が出来るのは、実は自分自身なんですね!
今回、職場で燃え尽き症候の研修を行い、こうしたセルフケアーの在り方を考える事が出来た事は収穫でした。