普天間基地問題を考える。

 4月末が近づき報道では政治の問題として、沖縄の普天間基地移転の問題が語られている。
鳩山首相が、5月の決着をかねてから明言していた事をとらえて、「本当に解決策があるのかどうか?」も含めて民主党の問題処理能力そのものが試されている。政権に対してその解決が出来るのか?どうかが問い詰められているのは確かだろうが、この問題の本質は何だろう?

 そもそも普天間問題は単独の基地移転問題では語りつくせない問題を孕んでいる。
極論すれば、例え普天間基地がどこか別の地に移転出来たとしてもどうだろう。沖縄の基地問題は何ら本質的には改善されていない。
沖縄県の膨大な土地を、戦後65年米軍に提供し続け、基地の為に住民の生活は常に脅かされ続けてきた事は誰も否定できない。

今後も沖縄が日本を代表して基地の村として基地施設を提供し続けなければならない理由はどこにあるのか?誰も説明できないだろう。

太平洋戦争で、沖縄の人達は4人に1人亡くなったという。
唯一地上戦が戦われ、住民は旧日本軍の盾にされ、老若男女を問わずに殺戮されていった。
沖縄は、戦中から戦後にかけてずっと日本軍と米軍により蹂躙され続けてきたと云っても過言ではなかろう。

こうした沖縄の実態を、本土の人間はどれだけ自覚しているだろうか?
「 基地を沖縄から無くして欲しい!」と云う住民の願いに対して、本土の人達はどこまで真剣に答えてきただろう?自分も含めて、私たちはぬるま湯の中で沖縄の日常的苦痛に目を背けてきたのではなかったか?

こと普天間問題において、沖縄に替わる基地の選定がいっこうに進まないのはどこも受け入れようとしないからに他ならない。
この問題は、ごみ焼却施設建設や、原発建設に於いて地元で必ず反対運動がおこることとよく似ている。
いずれに地域も、自分の地域にだけはそうした施設が建設される事に反対している。

沖縄は、今までずっと「ばば」を掴まされ続けてきた。
普通に考えれば、ここらでその仕事を交代するのが当然であろう。
しかし、次にばばを掴む地域がいつまでたっても現れる事がない。
これでは、いつまで待ってもポスト沖縄は現れることはないのだ。

いっそのこと、くじ引きででも次期だ代替え基地を決めれば良いものを。
・・・こんな発言をすると不謹慎と云われるかもしれない。
しかし、自分中心の「基地反対」には何の進歩性もない。

問題は、沖縄に一極集中する米軍基地をどうするのか?と云う問題であり、それに対する明確な立場をとることが求められている。

今、基地に反対している人達のうち、一体どれだけの人達が、軍事基地そのものに反対しているのだろうか?
軍事基地そのものに反対する立場から、沖縄にも自分の村にも基地を作らせない。こうした立場こそ一貫した基地反対の理念であろう。

ところが、マスコミ報道等の発想は、自分の土地に基地はいらない。しかし日米軍事同盟は必要不可欠だと云う相反するテーゼを一つに包んでしまっている。
こんな寄せ集め論は、今後の日本では有害な愚論であろう。
民主党および、鳩山政権が行わなければならない事、それは米軍の基地を日本から無くすための一歩を踏み出す政策をとる事、その為の普天間に変わる移転先の選定と云う問題ではないのか?
鳩山さんは正直にオバマさんに話せば良いのです。
「日本全国、普天間に変わる場所を探しましたが、どこにも置き換える場所はありません。ですから、そっくりそのままあなた方の国にお返しします。どこにでも好きなところに、戻して下さい。わが国には米軍基地はもうこれ以上置く事が出来ません」と。
もし、こう発言する勇気が鳩山さんに無いのなら、国民はもはや民主党政権基地問題を解決する能力がない事を悟るべきでしょう。
鳩山氏は、基地問題をめぐってハト派的な態度を見せているように思えたが、実は従来の自民党政権と変わらない日米安保条約を継続させていこうとする立場に変わりはないのだから。

軍事基地なき平和外交、これを中心に添えた政治的方針をしっかり前面に立てられる政党こそ、今後待ち望まれる日本に必要な政党だと考えるのですが、果たしてそうした政党は根付くでしょうか?
今度の夏の参院選挙は小党乱立の様子を見せていますが、こうした時期にこそ基地そのものに反対する外交政策と、平和憲法を守って外交的友好関係を中国とも北朝鮮とも韓国とも進められる政治的方向性が求められていると思う。(もちろん米国とも、友好的市民関係は続けられる必要がありますね)

やっと出ました。この寒さに負けない朝顔の芽です。


先日の休日に、京都は鴨川を歩いていたら、こんな川遊び(石の島を超えて渡るんです。そうです、ワンちゃんも渡れるのですから大丈夫。でも、間違って足を滑らせば、きっと冷たい入水体験をしてしまうでしょう・・・?