介護の原点を指し示す映画です。

昨日から、上映されている注目の映画を見てきました。

「ただいま、それぞれの居場所」
企画・製作・監督は、大宮 浩一さんです。
http://www.tadaima2010.com/index.html

東京ではすでに4月から上映されているようですが、関西方面では初公開で、初日は60人くらいの人達が来ていました。(大阪第7芸術劇場)

映画の方ですが、映画のホームページを事前に見ていた事もあるんですが期待していた内容が盛り込まれていて、最後は私も流れてくる涙を止められませんでした。

この映画は、いくつかの介護施設を紹介しながら、そのそれぞれの施設が一つの共通項を持っている事が描かれています。
介護保険10年で、何万という施設が生まれている事でしょうが、この制度から弾き飛ばされ、この制度の恩恵が受けられない人達が存在している、そのまさに日陰の部分に焦点を当てたのがこの映画です。

 何だ、それならおれ達に関係ない、と思われる方はこの映画を見る必要はないかもしれないけれど、今後自分や家族がいつか制度から零れ落ちる事が無いとは誰も断言できない筈です。
むしろそれぞれの心に問いかけて欲しいのです。
制度ではなく自分もそうした振り払いの行為をしててはいないか?と。
誰もが必要とする介護を受けられてはいない事、この事は厳然とした事実です。

この映画に登場する、支援する側に立とうとする人たちは、あえて介護保険制度の枠を超えて、その枠からこぼれている人達に対して支援の手を差し伸べているのです。
ある老人は、多くのディサービスや施設から利用を断られ、困り果てた家族に対して開かれた宅老所を最期の受け皿として利用し、そこで様々な葛藤をしながら自分の居場所を発見する・・・そうしたストーリーがさりげなく描かれている。
費用的には、保険制度の適用が無い為それなりの自己負担は求められる。しかし、その経済的なバリアーを超えることは、介護面における困難さを克服していく事に比べれば果たしてどれほどの憂慮を生むものだろうか?
むしろ、既成の施設では得られなかったその人本来の姿を、そうした新しい試みを求めた施設において獲得されつつある、その事をこの映画は示している。
通常の介護施設では受け入れて貰えなかった人達も、こうした施設ではそれぞれの居場所を見つけることが出来、毎日を共に生活する営みを始めているのです。こうした介護空間にも、本来は公的な支援が届かなければならないと思うのは当事者だけではないと思う。

この映画に登場している利用者たちは、全て本物の利用者さん達です。その意味ではこれはドキュメントかもしれない。
しかし、単なるドキュメントではないものを持っている。
それは、まだ連なりとしては確かなものとはなっていないが、こうした介護保険に依存しない施設が沢山創設され、それぞれの地域で根を張りつつあると云う事です。

全体からみれば微々たるものではあるでしょう。
しかし、そこで行われている介護には、脈々とした人間としての触れ合い(それはあるときは怒りや涙も伴うけれど人間生活の一部分以外の何物でもない)が積み重ねられていると云う事です。
一人一人の利用者がそれぞれの個性が尊重される形で自分の居場所が確保されていると云う事実、そこにこの映画の焦点とされているものの普遍性があると思う。

・・・映画の最後の場面は印象的でした。
写し出されるKさんは、元々スポーツマンでマラソンにも出場する長距離走を得意としていた男性ですが、心臓疾患により脳性の障害を持ち、社会復帰後も仕事が出来ず、人とのコミュニケーションにも支障をきたすようになり奥さんが一人で介護してきた50代(?)の男性です。
 奥さんは、「この人が、あの時死んでいたら良かったのに」という言葉だけは娘たちの口から言わないで良いように介護を頑張ってきた。
しかしいつまで一人で介護できるのか?不安も日々増大する。
支援してくれる施設は見つかるのか?と疲労困憊したがやっと夫を見てくれる施設が出来た。その事が大変ありがたいが、今まで他の施設では人とうまくコミュニケーションがとれず利用が続けられなかった。
この施設に来てKさんはしだいにうち解けるきっかけを持つようになる。
Kさんはいつも厳しい表情を示し、何を話しかけても能面のような顔で反応を示しません。・・・そんな性格なので、一日何も話さずに施設での生活を終えて帰宅する事も多かった。
しかし、ある時施設の職員からどうぞと差し出されたコップに注がれたビールを頷いてグィーと一飲みする。
きっと、昔運動の後にビールを傾けて楽しまれていたのでしょうか?
「おいしかった?」と尋ねるスタッフに、始めてこっくりとうなずくしぐさが確認できた。・・・そして、一杯飲んで緊張が解けたのか、施設の仲間達とオリエンテーションを素直に楽しんでおられる姿が映し出されていた。・・・この場面、普通の目で見ればアルコールを飲まして良いの?なんて聞きたくなるかもしれないが、そんな野暮なこと言わないでね。
Kさん、きっとのどが乾いていて冷たいビールが飲みたかったんだよ。
そんなKさんの気持ちを、この施設のスタッフはよく分かっていて、一杯のビールを一番おいしいであろう時に差し出したんです。
 きっと、彼の気持ちの中で、グィーとビールを一飲みにする行為を通じて、今まで緊張で硬直していた気持ちが和み、コミュニケーションの糸が繋がっていったんだと思うのです。・・・こういうビールは良いですね?
画一的に酒たばこはダメ、と云うんじゃなしに、必要に応じて求める人に提供しても良いんじゃない?そう思わせる一コマでした。
 それからKさんの事ですが、しばらく会っていない二人の娘さんが施設に来られる場面があります。奥さんが来られても、いつもの表情と変わりはないのですが、娘さんを見られた瞬間、表情がさっと変わり目が点になって見つめてしまっている。やがて娘さんの姿が消えた方向に駈け出して姿を追おうとされるのをスタッフが後から付いて回る。(まるで時代劇の殿を追う付け人のように)・・・娘さんの面会がたいそう嬉しかったようで、普段一言も話さない人が娘さんと会話を楽しむ。表情も豊かになり、生き生きとしたしぐさが出るようになった。

 Kさんのこうした生の変化を見て、奥さんや家族だけではなく映像を見る私達も思わず「良かったなぁ」と声かけてみたくなる場面です。
タイトル通りの、その人その人なりの居場所がこうして出来ていくことこそ本当の介護の姿なんだと納得している自分が居ます。

 それから最後に流れるテーマソングも印象深い。
森圭一郎さんのすんだ声が、素晴らしい余韻を私たちに届けてくれます。
残念なことにこの歌「君のためにつくった歌」のユーチューブ版が未だ見つからないので、この曲を聞きたい方はとりあえず映画を見に行って下さい。・・・因みに、「君の為につくった歌」で検索すると、殆どが森さんの歌ではなく松山千春の同名の歌がヒットしますのですぐには見つからないと思います。
でも、森さんのこの歌、きっと注目されると思うよ。
澄んだ高音と森さんの個性的な声の説得力が、聞くものに感動を呼びますから。

もちろん森さんの音楽活動はこちらのホームページで紹介されていますのでご参考まで。
http://keiichiro.com/index.html
映画に出てくる「石井さん家」のホームページはこちらです。
http://www.ishiisanchi.com/
もう一つ、千葉県にある宅老所「井戸端元気」のホームページはこちら。
http://members3.jcom.home.ne.jp/idobata-kaigo/