今年の初映画鑑賞は「 玄牝」でした!

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明日からは仕事となりますが、河瀬直美監督の作品が上映されているので、一人で見に行きました。
45分前について予約券を頂いたら何と「no3」でした!
会場ぎりぎりまで喫茶店で待機して、上映時間5分前に映画館に入ると、観客はぱらぱらと50人程度、主に女性の姿が多かった。子供連れの方もいて私は前から2列目の真ん中辺に席を陣取り、上着を脱いでくつろいで映画の始まるのを待ちました。
宣伝があって、やがて映画が始まる。自然の風や樹がそよぐ場面と古い日本の伝統的な家屋が映し出され、それが吉村医院の別室=お産に備えて「合宿」する宿舎であることが分かるが、民宿のようなたたずまいではあるが、みんな何らかの作業や運動を奨励され薪割りや畑仕事をする妊産婦もいる・・・さてさて以下が映画感想文になりますので、少し長い分ですがお付き合い頂ける方はどうぞ!

(男にとってお産とは?)
男性にとってお産というものは近寄りがたいものかもしれない。
生々しい生みの実態がさらけ出されることに、恐怖を覚える一方、それが女性にだけ与えられた行為であることの重さを、近寄れば近寄るほど思い知らされる。
この映画は、女性監督により制作され女の立場から映し出された作品であるが、一方では単なる性差によるとらえ方の違いを超えた、人間としての生と死をテーマに制作されていることが映画を観ていく中でそれぞれに知らされていく。
(注目の場面)
私が注目した場面は、作品の後半部分で吉村医師と作者の河瀬さんと思われる女性との哲学的とも思える会話をとらえた分です。ここでは、映画の製作者と吉村医師が生と死の深いテーマについて意見を交わす場面です。
通常ドキュメンタリー映画でも、登場人物と監督が会話をする場面はあまりないはずだが、この映画では二人の短い会話の中で重要なテーマが語られているように感じた。
吉村医師に関しては、私なんぞよりも彼の長年続けてきた個性的な自然分娩を奨励する産婦人科医としての活動・講演活動などに詳しい方は沢山おられるようなので、そうした活動の評価については適任者に譲りたい。
しかし、この映画を通じて初めて彼の仕事に対する考え方や生き方に触れ、以下のような感想を持った。
(私の感想は?)
通常、医師と言えばみなプライドが高い人物を想定するが、吉村氏はつくろう事のない人間だという事が分かる。自分が信じる産婦人科としての活動にこだわり、長年昔からの自然な分娩の中に受け継がれている人間としての「生み方」にこだわって来られた。彼が指導するお産とは、女性が自ら持っている母親としての能力を最大限に発揮する子供の生み方を伝えていくことにある。薬を多用することなく帝王切開をしなくても自然に子供というものは生まれ出るものだという強い信念に基づき、現代医学が陥っているお産というものの非人間化に警鐘を鳴らしている。
「死は悪ではないんですよ。現代医学は死を恐れてそれを避けるがためにさまざまな人工的工作を正当化するが、それは違う。あくまでに自然に生まれるように母親が自らを鍛え、生むことに正面から取り組めばいい。器械や手術によらなくても、経験ある助産婦等が介添えすれば、自宅でも安心して産める」
このことをずっと実践されてきた。
全国から、吉村氏のうわさを聞き、難産や異常妊娠等の悩みを抱える女性たちが今も吉村産婦人科を訪れている。
ほとんどの女性たちは、自然分娩を通じて自分が女として子供を産む喜びを味わい、この病院から旅立っていく。彼らの感動は、その出産場面で完成するのではなく、これから子育てというもっと長い子供を育てていく親としての体験を積んでいくこととなる。
すべてのお産が無事生まれるものでもなく、絶えず死と隣り合わせに進行する。
吉村氏がつぶやく「死というものは悪ではなく、もっと奥深い人間の生と関わるものである」というテーマは、そのまま作者の河瀬監督が描こうとした生まれいずる生と死の問題と交差する。
(吉村医師の本音と人間としての苦悩と生死観)
あたかも宗教的な悟りの境地のように、吉村氏はこれからも生と死の姿を見つめていくだろう。しかし彼の本音は、「もう産婦人科を止めたい!」という思いでもある。
緊張の連続の、産婦人科医としての半生、もうそれほど長くない自分の人生の振り返りをする意味では、もう少しゆっくりと人生を見つめられる時間と環境が彼には必要なのだと思う。一方では、「自分は終生、医師として患者に対面して死んでいきたい」という気持ちがありながらも、「責任ある肩書から外れて自由に、毎日を過ごしたい」という素朴な気持が彼のなかで交差していることが分かる。
作品の中で、吉村氏の娘と思われる家族から厳しい親としての非難をされている場面に出くわした。「産婦人科としてはあなたは良いかもしれないけど、私たち家族には何にも話を聞いてくれなかったし声もかけてくれなかった、あなたは冷たい親であったことを自覚していない!もっと私たちの声を聞いてくれても良かったじゃない」と。
想像するに、吉村氏の家庭生活ではおそらく自分の子供たちとの十分な会話をする時間は持てなかったのかもしれない。それを責められる吉村氏の苦悩が伝わる。
もちろん、医者として、多くの患者から感謝もされ、喜びの言葉も沢山貰っておられる事だろう。しかし、だからと言って彼の家族というものがすべて円満にうまく関係が出来ているとは限らない。むしろ、彼は家族を犠牲にしてきたのかもしれない。
玄牝=偉大なる女の「神秘なる母性」は、これからも無数の生と死の物語を生みだしていく。この生命活動の事実を、この映画はしっかりととらえ直させてくれる。
子供を産み育てる、女性としての活動がもっと評価されるべきでもある。
もちろん女性も子どもたちも、男性もこの映画を見て感動して頂きたい。
もし、映画を観ている自分が自然に涙を流していたら、それは人間としての生と死の共感の証明とも言えまいか?
登場している妊産婦たちは、実際に己の子供を生みだす命の格闘をしている。ある人にはそれが痛みとして、「気持ちの良い行為として」、必死で今を生き新しき命を産み落としている。母親を励ます夫や子供たち、助産婦や産婦人科医・・・それらの共同作業が、ありのままのお産を可能にしている。
こうした、自然なお産が、もっともっと多くの人達に受け継がれていくことを希望します。

*私の場合、実は3人目の子供はラマーズ法で産婆さんのもとで自分も立ち会い出産場面に立ち会いました。細かいことはもう覚えていませんが、妻が子を生む場面に立ち会えた貴重な体験は記憶にあります。でも、この映画にあるように、出産の場面を「つるっと」出てくる場面をしっかり見たのは初体験でした。これは表現通り、「つるっと」生まれ出ているんです。すごいですよ、生命誕生の瞬間って。
これから結婚をして子供を作る人たちにはぜひ勧めたい
お産は病院じゃなしに、自然分娩が家族と共に出来るやり方で生みなさい!